スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
本久城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
美祢西インターチェンジから厚狭へ向かう交差点を左折して中国道の高架を潜ったあたりの右側の山に城跡があります。戦国期は毛利家重臣の仁保氏や杉氏に属した厚元久が本久城の城主であったと伝わります。厚氏は鎌倉の下向武士で、厚保の地の地頭職でした。南北朝期に長門国に侵攻して来た大内氏の配下となり、戦国期には安芸国から侵攻して来た毛利氏の配下となりました。厚元久は杉氏が毛利輝元に対して起こした謀反に連座して自害させられたと伝わります。関ヶ原の戦い以後の毛利氏は所領を大減封された為に財政が苦しくなり、家臣団のリストラが始まりますが、元々大内氏の家臣だった厚氏は毛利家の中では外様家臣であった為に冷遇され、江戸期に在郷武士を経て帰農したそうです。