偶然見つけた多伎神社の魅力。
一宮河内神社の特徴
偶然見つけたのが、新潟県村上市の神社でした。
御朱印が魅力的で、アメブロで画像を発見しました。
論社である多伎神社の祭神に関する説が興味深いです。
アメブロで御朱印画像を発見!平成二十九年九月十日の日付。存在は確認できたが、拝受する為のプロセスが不明。親戚が山形県鶴岡市山五十川で御分社の宮司をされていて、そちらの御朱印はお願いして頂けたので是非、御本社の御朱印も頂きたいです。
式内社 越後國磐船郡 多伎神社(論社)祭神 雲上佐市郎雲上佐市郎については諸説あり、頼仁親王:後白河天皇第三皇子と伝わるが、後白河天皇第三皇子は以仁王であり、頼仁親王は後鳥羽天皇の皇子だが、時代が合わない。都から落ち延びてこの地に隠棲したが、三面川で従者に弑されたとも、応保元年(1161)に当地に下向し領主となったが、遊興にふけり政務が滞ったため家臣達に殺害された、または、悪行を見かねた朝廷が討伐軍を派遣し討ち取られたともいう。安元二年(1176)に当社に産土神として御霊を勧請したと伝えるが、延長五年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている多伎神社の論社でもありその経緯は不詳。新潟県北部にに雲上佐市郎を慰霊する神社が分布している。
名前 |
一宮河内神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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笹川流れから朝日町に向っていて偶然見つけた。川面を遥か下に眺め、東に大朝日岳を望む。式内社多伎神社の論社らしい。多伎神社の祭神は多伎津島姫命。三嶋郡の多岐神社の祭神には多岐津島姫命、多岐津比古命などがある。多岐津姫は八千矛(大国主命)の后、多岐津比古は多岐津姫の孫で味鋤高彦(高鴨神社の祭神)の子らしい。多岐津彦は出雲から葛城に移住したと言う。三面川の側には、既に東出雲王家の人達(事代主命、沼川姫の子孫)が住んでいたので後から来た西王家の人達はこの高台に住んだのでは。そんな気がする。多伎津姫が住んだ地は神門郡多伎郷となり、多伎タキノ神社(出雲市多伎町多岐)が鎮座すると言う。