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名前 |
戦国領主 財満家館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
個人宅ですが、東側の芝生広場や阿武瀬天満宮の場所は公開されており、車も停められます。財満氏は安芸国(広島県)の土豪でしたが、落城後、毛利元就に仕えて、当地小野村を支配しました。毛利氏の合戦に従軍し功績を挙げた後、戦国末期に毛利輝元の側室・二の丸殿が輝元の子を身籠ると、密かに広島城から財満氏に預けられたそうです。正室を気遣ってのことで、男児であれば処分するよう命じられていたようですが、財満氏は生まれた男児を秘密裏に生存させていました。やがてこれが輝元の養子であった秀元(輝元の従兄弟)の知るところとなり、秀元は家督継承権を放棄してこの男児(秀就)を毛利家の跡継ぎとするよう進言。晴れて輝元の嫡子として迎えられ、後に長州藩主になりました。山麓タイプの城館で、土塁が一部残っていますが、全体的に遺構は少なめですが、説明板は沢山建ってます。