碑の下の是東二丁、高倉宮の魅力。
高倉宮冑之社の碑の特徴
碑の下に是東二丁の文字が刻まれており、歴史の深みを感じます。
高倉宮は以仁王に関連し、貴重な史跡として訪れる価値があります。
魅力的な歴史を秘めた高倉宮冑之社の碑は必見のスポットです。
高倉宮というのは以仁王のこと。後白河天皇の第二皇子の以仁王は、治承4年5月(1180年)の宇治川の戦いで平家に敗れました。そして以仁王は、奈良の興福寺の僧兵と合流するため南下したのですが、この高倉宮冑之杜の石碑のあたりで兜を脱いで休んだそうです。ちなみに以仁王はこの先、今の木津川市北部にある高倉神社のあたりで平氏に追いつかれ討たれました。すでに興福寺の僧兵達は木津を出発していましたから、高倉宮はこの場所で休憩さえしなければ合流して反撃に移れたことでしょう。在来馬の平均時速なら、約10分早く出発していれば高倉宮と興福寺僧兵は棚倉あたりで合流できていたはずですから。油断大敵、歴史の「IF」の一つです。
| 名前 |
高倉宮冑之社の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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碑の下の方に「是東二丁」と書いてある。東へ約500m先にある旦椋神社への案内道標のようです。馬《●▲●》助ヒヒーン♪