松平広忠ゆかりの神社、奥宮の印象。
山中八幡宮の特徴
徳川家康に所縁がある神社で歴史を感じる場所です。
家康の父、松平広忠が再興した伝説の神社です。
国道1号線近く、奥宮の印象が強い特別な神社です。
家康の父・松平広忠が再興した神社。境内には家康が三河一向一揆の際に隠れたという穴(鳩ヶ窟)などの史跡があります。駐車場(無料)もあります。
岡崎の国道1号線から少し奥に入った場所に鎮座する神社です。境内の大きなクスノキと、静かな山の中に建てられた立派な社殿がとても印象的な神社です。創建は朱鳥十四年(699年)と非常に古く、この地の山中光重という人が宇佐八幡のお告げで社を建立したのが始まりだそうです。中世以降は徳川家(松平家)との縁が深い神社となります。徳川家康公の父、松平広忠公が神社を再建され、家康公も初陣の必勝を祈願したといわれており、神社内の石灯籠などには葵の御紋が彫られています。また、地元の寺院から年貢米を徴収したことに端を発した三河一向一揆の際にも、家康公はこの神社内の洞窟に身を潜めたと言われていて、追手が洞窟に近づいた際、2羽の鳩が洞窟から飛び出したんだとか。鳩がいる洞窟に人がいるはずがないということで、追手は洞窟を通り過ぎ、家康公は難から逃れたという言い伝えがあり、現存するその洞窟は「鳩が窟」と呼ばれています。
奥宮が強烈に印象に残りました。物凄い神秘的な力を感じざるおえなかったです。さて、この山中八幡宮の「鳩ヶ窟」ってご存知ですか?もしあの時あの場所に、、、もしかすると歴史が大きく変わってたかもしれない場所なんです。山中八幡宮は家康公の父・広忠が再興したといわれ、家康公初陣の際に必勝祈願したとされる神社です。1563年に起こった三河一向一揆。そう三方ヶ原の戦いや神君伊賀越えと並び立つ家康三大の危機のひとつとして語り継がれる出来事です。実はこの敷地内に「鳩ヶ窟」(はとがくつ)と呼ばれる洞窟があり、一三河一向一揆の戦いに敗れ、徳川家康が敗れて命からがら逃げ隠れた洞窟といわれています。追手がこの中を探そうとしたとき、洞窟から二羽の白い鳩が飛び立ったので、「人のいる所に鳩などいるわけない」といって追手は通り過ぎ、家康は難をまぬがれたといわれている洞窟なんですね。そして、その後、この洞窟を「鳩ヶ窟」(はとがくつ)といい、八幡宮の山を「御身隠山」(おみかくしのやま)と呼ぶようになったそうです。また、室町時代から続く五穀豊穣を祈る神事があります。毎年正月3日に開催され「デンデンガッサリ」という御田植神事として行われており、市の無形民俗文化財もに指定されています。
名前 |
山中八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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国道1号線から見えて気になっていた神社で、徳川家康に所縁がある神社です。ご朱印は書置きですが、掲示板に授かり方が書いてあり早く対応して下さりました。階段を上がるのは大変なのか、遥拝所があります。