弘法大師の歴史感じる御影堂。
大師堂(御影堂)の特徴
東寺の御影堂は南北朝時代に再建された美しい建築です。
弘法大師空海が住んでいた歴史ある場所を体感できます。
一般的な寺院の本堂にあたる西院御影堂にぜひお立ち寄りください。
東寺の中にある。 東寺には何度も来ているが この大子堂には 入ったことがなかった。 今回初めて 入る。 無料なので 大勢の人が来ていた。 大子堂 そのものは 奈良時代の 空海の住居として 建てられたものと言われる。 火災によって一度は消失するが、 鎌倉時代末期の南北朝時代に 再建される。 それが 今に至るまで 現存しており、 太子堂 そのものが国宝に指定されている。 また 内部には 弘法大師像と 不動明王坐像があり、 いずれも 国宝に指定されている。建物そのものは 非常に綺麗に装飾されており、 古さを全く感じさせない。 何十年かに一度は 総点検を受け、 塗装や 修復 あるいは 金具類の付け替えなどが行われているんだろう。 従って 訪れる人の多くは、 これが国宝である ということを感じにくいような気がする。
東寺御影堂とかいて みえどう と読みます。弘法大師空海さんが、住んでいたところです。住居のせいか、少し屋根の高さが低めの作りです。無料のエリアにあるので、誰でもお寺が開いている時間なら、見ることが出来ます。
一般的な寺院の本堂にあたる西院御影堂。弘法大師と不動明王が祀られています。黒を基調とした重厚感のある木造建築。弘法大師と不動明王の御朱印は食堂で頂けます。
朝参りに参加させて頂きました。地元のご婦人方でしょうか、お念珠持参で熱心に念仏を唱えていらっしゃいました。朝参りの時には、普段拝見できない御仏像を拝むことができるそうです。朝参りは、1時間弱くらい。私が訪れた時は、6時開門でした。東寺は、地元では、「弘法さん」と呼ばれて親しまれています。真言宗の開祖空海が、弘法大師と呼ばれている事によります。この「弘法さん」は、毎月21日の東寺の縁日をも言うようです。その「弘法さん」と私の不思議なご縁について少し語りたいと思います。27年くらい前になりますが、ある初弘法(1月21日)の縁日にて、「男の子を授かりますように」とこちらでお願い致しました。すると本当に間もなく子宝を授かり、無事男の子を出産しました。(腹帯は、御香宮で頂きましたが)これは、ご利益のおかげ、とその子の名前に、弘法大師の一文字をつけさせて頂きました。そもそも、神奈川生まれ神奈川育ちの私が、「弘法さん」に毎月欠かさず詣でていた義母のいる家にお嫁入りしたのもやはり、ご縁があっての事かもしれません。また、子育てがひと段落し、書道を教えるようになって、「高野山競書大会」という、和歌山県の高野山金剛峯寺主催の書道コンクールに教え子の作品を出品する事になりました。教え子の作品が入賞し、高野山金剛峯寺や高野山東京別院まで作品展示の見学に訪れた事もあります。ちなみに、先ほどの息子も学生の頃書道で段有者となりました。また、不思議な事に、2人目の子供も、予定日と誕生日がぴたりと21日という弘法大師の縁日に生まれたのも、やはりご縁だったのではないでしょうか。今回の朝参りも、義父の法事の際、朝の散歩のつもりで訪れ、引き寄せられる様に参加させて頂いたのです。そういえば男の子を授けてとお願いしたお参りの時、義父が私をこちらに連れて来てくれたのでした。息子が誰よりも義父似なのも、やはり縁があっての事に思えてなりません。お参りの帰り道、そんな事を思い出してしまいました。長々と失礼致しました。
弘法大師空海が教王護国寺にいたころに住居であった場所。「生身供」という大師が生きているように食事を差し上げる法要が毎日行われる。毎月21日の弘法市には熱心なお大師信者の皆さんが集まる。建物は室町時代のもので国宝に指定されている。建物背面にある絶対秘仏の弘法大師念持仏・国宝不動明王を供養する護摩供修法所も、護摩供が厳修される際には信者さんが集まり手を合わせて祈る。
名前 |
大師堂(御影堂) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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東寺の御影堂(大師堂)は南北朝時代の再建だそうです。前堂・後堂、中門の三つの建物から構成されているそうです。後堂には空海の念持仏といわれる、国宝の秘仏不動明王坐像が安置されているそうです。この像の天蓋だけは拝見した事があります。後堂は康暦2年(1380)の再建だそうです。前堂には国宝の弘法大師坐像が安置されていますが、この像もまだ拝観した事はありません。前堂は明徳元年(1390)の再建だそうです。