安井金比羅宮で特別な思いを。
崇徳天皇御廟の特徴
祇園の万寿小路近く、楠の巨木の元に位置する御廟です‼️
崇徳天皇にまつわる石の碑が2基、さざれ石で囲まれています✨
歌にも詠まれる崇徳院、怨霊として知られる歴史的な場所です。
祇園の万寿小路、祇園花見小路甲部歌舞錬場裏側に1本の楠の巨木の元に御廟はあります。崇徳天皇の寵愛厚かった阿波内侍は、御遺髪を請い受けてこの場所に一塚を築き亡き天皇の霊をお慰めしたと伝承されています(白峰神宮HPより)普段は中に入り御詣りをすることは出来ません。中の写真を撮る為に失礼な行為をしないようにして頂きたいと思いますまた、お静かに御詣りをお願いします。『白峯神宮』の神職の方々が管理をなさっていますが近くにある『安井金比羅宮』も崇徳天皇をお祀りしています安井金比羅宮と共に御詣りをなさると良いと思います当然、場所が離れますが崇徳天皇を同じくお祀りしている『白峰神宮』にも御詣りお訪ねして頂きたいと思います。ご参考までに…崇徳天皇の生い立ち等々をお調べ読んで頂くと天皇の優しいお人柄がご理解頂けるかと思います色々と知る度に涙した私です。ご参拝の度に悪霊と呼ばれる方では無いと感じるかと思います(個人的意見です)
瀬をはやみ 岩(いは)にせかるる 滝川(たきがは)のわれても末(すゑ)に あはむとぞ思ふ崇徳院(すとくいん)[歌意]浅瀬の流れが速いので、岩に一度はせき止められてしまう滝川の水がふたつに分かれてものちに再び合流するように、恋しい人に別れても後日必ず逢おうと思う[御祭神 崇徳院]崇徳院は、第七十五代 崇徳天皇。鳥羽天皇の第一皇子。保安四年(1123)五歳で立太子、同日即位。永治元年(1141)二十三歳で、皇弟、近衛天皇に譲位。これは天皇の意志で無く、やがてこれが保元の乱の源となり、讃岐国(香川県)に幽閉される事になり、ついに都の土を踏むことは出来ませんでした。長寛二年(1164)夏、四十六歳にて崩御、五色台白峰山の御陵に奉葬されました。上皇の寵愛篤かった阿波内侍は、御遺髪を請い受けて、この場所に一塚を築き亡き上皇の霊をお慰めされてきました。その頃の京都では、上皇の怨念による祟りの異変が相次いで発生したため、御影堂を建てて慰霊に努めましたが、永い年月の間に廃絶して、此の所のみが哀史を偲ぶよすがとなっています。なお、孝明・明治両天皇の聖慮により、白峯神宮が創建され、元官幣大社として尊崇され今日に至っています。右の一首は百人一首で有名で、最高傑作の一首です。
日本三大怨霊にして、怨霊になった唯一の天皇が、崇徳天皇です。崇徳天皇(院)の祟りを畏れてこの地にお祀りされました。お詣りは、金網越しにしかできません。安井金比羅宮ちかくにあります。静かにお詣り致しましょう。
御廟の中には崇徳天皇にまつわる石の碑が2基建っておりその回りにはさざれ石が敷き詰めされその左右には神前灯籠が4基設置されています。それほど中は広くないですがすごく歴史を感じる静寂なところです。
| 名前 |
崇徳天皇御廟 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-441-3810 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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安井金比羅宮での参拝を終え、そのまま真っ直ぐに進んだ歌舞練場の裏口手前左側にありました‼️仕事終わりに地元の方に連れて来て頂き、いろいろな話を聞かせてもらい拝観したので、寂しげな御廟でしたが特別な思いを感じました‼️