ひっそり佇む光秀の塚。
明智光秀の塚の特徴
明智光秀の塚は静かでひっそりと立っている場所です。
京の人々が心を込めて弔う姿が印象的です。
歴史的背景を語る場所で深い思索を促す雰囲気が漂っています。
川沿いを歩いて川を見ていると、通り過ぎてしまいそうでした。川沿いでは無く、少しだけ入ると、ひっそりと佇んでいますが、小さいながらも存在感のある、さすが明智光秀の首塚と思えるくらい、大事にされてるのが解る所でした。何人かいましたが、皆様静かにお参りされてました。
本能寺の変で、主君織田信長を急襲し自害に追いやった明智光秀の首塚。江戸時代に2回移転し、現在地に至ったそうです。他の場所に胴塚もあるそうです。閑静な住宅街にありますので、大勢で行かない、大声で話さない!など近隣住人への配慮が必要です。
明智光秀の塚。地域の人々の手により、きれいに保存されています。白川沿いの餅屋さんの手前で左に曲がれば、あります。
こんなところに明智光秀の塚があるとは…ほんまに人目を憚るかのようにひっそりと建っておりますが京の人々が光秀公を丁重に弔おうとする雰囲気は十分伝わりますそれにしても明智光秀\u003d裏切り者ってレッテルがやたらと強いけど…そんなことを言い出したら豊臣秀吉だってかつては主君と自ら押し立てた織田秀信(三法師)を風下に扱ってるし織田家の人間はことごとく冷遇されてるやんー徳川家康に至っては主君豊臣秀頼を大坂夏の陣において攻め滅ぼしてしまう始末それを考えると明智光秀は戦国時代という秩序や道徳よりも武力がすべての時代の徒花になってしもたんやろなー😓
名前 |
明智光秀の塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi036.html |
評価 |
4.0 |
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謀反人としてとらえられることの多い明智光秀ですが、朝敵かつ仏敵であり力づくの圧政を敷いていた織田信長を糺すという「義」があったと解することもできます。実際のところ、智将として名高い光秀が率いる明智軍が、たった12日間で秀吉軍に敗れるとは考えにくく、「本能寺の変」は天下取りが目的ではなかったとする解釈も成り立ちそうです。客観的な情報を論理的に組み立て直して冷静に考えてみることの大切さを感じさせてくれる場所でした。夕刻ではありましたが、敬意をもってお参りするのであれば決してコワイ場所などではないと思います。