明智光秀が築いた亀山城へ!
亀山城址の特徴
亀岡駅から徒歩圏内の歴史的な城趾です。
明智光秀が築城した亀山城の跡を見学できます。
大本教の施設としても利用されている場所です。
この城から出陣して本能寺に向かったそうです。今は宗教団体の聖地となっていますが、入場料を払うと見学できます。その門徒によって崩れていた石垣が修復されたそうです。
大本教の施設になっており、入場料が300円かかります。廃城となり破壊された城を、大本教の出口さんが買い取り、信者が整備したそうです。その後、宗教弾圧で、再び破壊され、再度整備、現在に到っているとか。そう考えるとどこまで昔の姿が再現されているのかや、歴史的な価値は?と考えざるを得ません。ただ一部の石垣は地下に埋まっていたため、明智光秀時代のものもあるようです。また植物園もあり、それなりの価値はあります。発券場では、丁寧に対応していただきさ、決して300円は高くない印象です。
亀山城は、織田信長から命を受けた明智光秀が、天正5年(1577年)ごろ、丹波進攻の拠点とするために築城されました。明治維新の後、廃城令により解体されましたが、現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣などが修復され、往時を偲ぶ事が出来ます。有料のエリアに入るのに事務所でお金を払うと、とても親切に石垣の説明などをしてくれました。写真の石垣の上の部分は後から足したものらしいですが、赤い部分は当時のままらしいです。内堀後に復元された石垣に刻印があります。かつて天下普請によって西国大名が築いた城だけあって、おそらくほかの場所にもあると思います。前述にもあるようにこの天守台石垣は復元されたものですが、下三段ほどは破却前の石垣だそうです。たしかに江戸時代に築かれたはずの石垣にしては、使われている石も小さいですし、積み方も整ってません。下三段の石もそろってないので、隅石の一部だけが現存する石垣かもしれませんね。本丸の南側には井戸があります。江戸時代以前から残る井戸と云われ、城内の貴重な水源として利用されていたのかもしれません。亀山城は、本丸の一部穴太積みの石垣が残されている高石垣や、本丸南側の内堀が見どころです。この城から明智光秀が本能寺へ向けて出陣したと云われる歴史ある場所で、歴史好きの人にはたまらない城郭となっています。JR嵯峨野線「亀岡駅」から徒歩7分、明智光秀にゆかりのあり過ぎる城跡、【丹波亀山城跡】
京都府亀岡市荒塚町にある明智光秀公が作った亀山城があります。明智光秀は、天正5 年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。1604年に建てた今治城を解体して建てたのが、亀山城だそうです。天守の屋根の構造」に注目して分類された、望楼型(ぼうろうがた)と層塔型(そうとうがた)の2つの種類としては、望楼型天守丸岡城(福井県)・犬山城(愛知県)・彦根城(滋賀県)・姫路城(兵庫県)・松江城(島根県)・高知城(高知県)層塔型天守弘前城(青森県)・松本城(長野県)・備中松山城(岡山県)・丸亀城(香川県)・松山城(愛媛県)・宇和島城(愛媛県)亀山城跡は、内堀、外堀、さらに総構えで、御土居のようや土塁をつくり、掘った跡は水を流しています。城側には、寺町のように、お寺を配置した縄張りになっています。亀山城は、城の北側は保津川が流れてていて、低湿地になっているそうです。北側は守りは、外堀しか必要なかったそうです。南側は、天守や、城下町になり、大阪城のように、上町台地のように、7から8メートルぐらいの段差のある高台にあります。つまり南側から北側の保津川に、また亀岡駅側に水が、地下水が流れ落ちる構造になっています。天守は、この台地の北の端にあります。南側には、内堀、外堀のさらに外には、総構えの土塁を張り巡らせています。外堀の出入口は5門あり、① 大手門②西門③ 保津門④雷門⑤ 古世門総構えの出入口は、穴太口、矢田口、古世口、の3箇所が確認されてます。亀山城跡には、内堀跡は、今の万祥池のある場所です。また、北側亀岡駅側の外堀は、今は南郷公園になっていて、明智光秀公の立像があります。また古世親水公園に、湧水が出てる箇所があり、昔は、野菜などを洗っていたそうです。その湧水から外堀に流れています。本丸石垣は下から10メートルぐらいは、1577年当時の穴太衆が積んだ野面積み、布積み、算木積みで積まれた石垣がのこってあます。その上は、積み直しているので、乱積みになっていて積み方がかわってます。昭和10年ごらの圧迫政策で5000本のダイナマイトで爆破したつちが、たまたま土が被さってのこったそうで、穴太衆の安土桃山時代の石垣であると、粟田建設の粟田純司14代が見に来て判断されています。さらな、その周りには、総構えの土塁「高さ4かれ5メートル、幅9メートル」が城の南側にあり、その内側にはお寺があり、今も御土居の土塁がのこっています。亀山小学校の校庭には、土塁の跡がのこってます。地元の方の話では、土塁の上にさくら🌸の木が植えてあったので、桜ヶ丘と呼ばれていたそうです。また公園や、総堀の手前に寺町のように、お寺が集まってるお寺さんなどに今も総堀が残っています。アクセスは、山陰本線(嵯峨野線)で亀岡駅下車・・約20分(快速)
名前 |
亀山城址 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0771-22-5561 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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亀岡駅の近くにある城趾です。今は宗教団体が管理しています。天守閣はないですが公園になっています。