スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
祐福山 安楽寺 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
国道306号潤田交差点東に位置。建造物。境内等綺麗に維持・管理されています。境内には大樹、墓碑、由来碑等が建立されています。由来碑碑文を引用しご紹介します。【安楽寺の由来】祐福山安楽寺と言い浄土宗の寺院で潤田にあった。享保二十一年(一七三六)に菰野藩寺社奉行、篠塚権之進の寺社調べに対して潤田村庄屋権十郎が差し出した報告書に次のようにある。薬師堂の広さ、東西三間二尺、南北四間、境内六畝十歩、祐福山安楽寺と称し浄土宗、本尊薬師如来長さ一尺八寸五分。本寺菰野村如来寺にて四代ほど前、覚右衛門と申す者建立、ただいま無住。江戸期は川原町の如来寺の末寺となっていた。ここでいう創立者の覚右衛門は、境内に古い墓碑が五基残されている。その中の最古の「正保二年(一六四五)横山律善入庵主」とあるが覚右衛門その人と思われる。それに「貞享三年(一六八六)当寺二世往誉乗空」の墓もある、三世の浄入庵主は墓碑に年号がないが、境内に「寛政九丁巳年浄入」と刻んだ手洗石を残している。享保年代は住職も無く荒廃していたのを三世の浄入が再興したのであろう。堂の大きさも十三坪余のものが東面して建てられていて、ここに薬師如来を祀っていた。現在も薬師如来像と阿弥陀、釈迦如来も、千手観音、釈迦誕生佛像が残されている。この堂は明治九年(一八七六)に潤田学校に当てられたが同年十二月の伊勢暴動に遭い焼失している。境内に「天地幽顕水陸諸霊」と記された供養碑と堂内の天井に大数珠が保存されている。このことから浄土宗特有の百万遍念仏の行事が盆に模様されたのであろう。(菰野町史より)平成二十八年一月吉日 建立 と、なっています。