山道を行けば、祥雲寺の魅力!
八幡神社の特徴
神社裏の山道は長楽寺へと続き、面白い散策が楽しめる場所です。
請西八幡神社は木更津八景の一つであり、月の名所でもあります。
境内の富士塚は元古墳を利用して造り変えられた、歴史を感じるスポットです。
請西八幡神社は、木更津八景の一つ月の名所である祥雲寺と敷地続きです。古墳を利用してつくられています。慶応4年(1868)戊辰の役の際、会津藩と親戚の飯野藩は倒幕・佐幕に揺れた結果、藩主保科正益は新政府に恭順を示します。閏4月8日に請西藩藩主、林忠崇公が脱藩したため、その旧領は18日に飯野藩が預かり、小高い天然要害の地、請西村祥雲山の祥雲寺に駐屯することになります。5月16日の夕方、飯野藩駐屯兵は、滞陣慰労の演芸会を開いていました。その夜の10時頃に突如、寺の屋根に松明が投げられ、寺の前後から喊声をあげた19人程の武装者が斬りかかってきました。それは、浅野作造頼房率いる一党、義軍を称する貫義隊(かんぎたい)の急襲でした。本堂はみるみる火が回り、酒宴の直後で隙をつかれた飯野藩兵は、応戦もままならず退避し、武装していた数名の番兵達が各持ち場から立ち向かいました。この戦いで少年武士の三宅茂之助17歳・飯野藩奉公人の 仙蔵56歳・市蔵42歳・倉吉51歳の4名が討死。本殿に向かってに向かって左の坂道に一人で刀を握ったまま倒れていたのが、少年武士の茂之助。他に二人が右側の井戸の傍らで亡骸を目撃されています。ここを訪れるときは、上総の戊辰戦争犠牲者にも思いを馳せて、静かに祈りましょう。
木更津ニトリの裏道、祥雲寺の敷地と共にあります。富士塚の辺りは空気が清浄で、本当に心が澄み渡る様です。とても歴史を感じさせる、心落ち着く神社です。
請西八幡神社境内裏の富士塚は、元は本殿裏手の古墳を利用して造られていましたが、山の斜面に造り変えられました。一番高い位置に祭神「木花咲耶姫」や「役行者」、中段には「聖徳太子」の石碑があります。聖徳太子の石碑は、馬に乗り富士登山をするという伝説に因むもので、全国的にも珍しい図柄です。(好きです!木更津検定 ガイドブックⅡより)ガイドブックに導かれ、初めて訪れました。苔蒸す#狛犬 が鎮座し、古くからの#村社 だろうが、手入れは行き届いていて清廉な感じ。市街地から路地を一本入っただけなのに人の気配がなく非日常的。富士塚の裏手に拡がる林には見事な山桜の大木がありました。隣接する祥雲寺 の案内板から、桜の名所らしいけど、ちょっと来るのが遅かったですね(笑)祥雲寺の秋月は、これまた#木更津八景 のひとつらしいので、半年後の宿題だ。
| 名前 |
八幡神社 |
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| ジャンル |
/ |
| 住所 |
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| HP | |
| 評価 |
4.6 |
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神社裏の山とそこから長楽寺へと続く山道がなかなか面白い。広葉樹√の途中にはかなり眺めのいい墓地がある。