安倍晴明公墓所、嵯峨の静寂。
安倍晴明墓所の特徴
渡月橋を渡った桂川沿いに位置する史跡です。
23年前に感動した思い出がよみがえる場所です。
陰陽師の安倍晴明公墓所を訪れることができます。
この安倍晴明のお墓がある場所は、京都府京都市嵯峨天龍寺角倉町という地区にあります。(まず安倍晴明とはどんなことをした人か?)賀茂忠行、賀茂保憲親子を師として、天文道・陰陽道を学び、名声極めて高く、天文密奏(天文の変化をいち早く察して、その吉凶を占いこれを天皇に奏すること)を始め、天皇・貴族の陰陽道緒祭や占いに従事しました。その占験の能力についての神秘的な伝説は古くから数多く伝えられています。(安倍晴明は何の神様?)伝説上の安倍晴明は式神と言われる鬼神を操り、物の怪を祓う超人、異能力者として知られていますが、史実上は陰陽寮に属した官人、つまり役人だったということです。また、現存する陰陽師は何人いますかというとまだ40人から50人ほど残っているそうです。ちなみに陰陽道の最高神はというと、『大上神仙鎮宅霊符』(だいじょうひほうちんたくれいふ)は神通第一にして霊験無比なること、この天尊(七十二霊符)に及ぶものはないとまで言われました。平安時代の陰陽師安倍晴明の能力には次のようなものがあります。⦿天体の運行から自然現象や人間の運命を予知する。⦿呪法である式神を駆使して超能力を発揮する。⦿鬼をみたり、病を治したり、雨を降らしたリする。⦿呪術と祈願に長けていた。⦿陰陽道の祭祀を行う。⦿怪物の調伏を行う。安倍晴明は幼少期から類い稀な才能を発揮しました。陰陽道の大家である賀茂忠行に師事しました。貴族や一条天皇、藤原道長の信頼を集め、天皇・貴族の陰陽道諸祭や占いに師事しました。また、安倍晴明は特殊能力を持つが故に周囲から恐れられたり、疎まれたりするため滅多に心を開かない謎めいた存在として描かれています。
京都嵐山、渡月橋を渡って桂川沿い、左手の小道を少し行った所にあります。晴明神社をお参りしたのだから、お墓参りもしたくなり行って来ました。陰陽師として藤原道長らを支えた85年の人生お疲れ様でございました、合掌。
静かな町中にあり、清明殿にちょうどよい。いまも、博雅と酒を飲み交わしているのだろう。
偶然、23年前に見つけて感動した思い出があります。その当時は今ほど整備されていなかったです。
陰陽師の安倍晴明公墓所です。はるか昔に東山と同じく冥途との境だったこの辺りは寂しい場所だったでしょう。いつしか住宅街となり路地を入った目立たない場所に墓所はあります。命日は1005年10月31日(寛弘2年9月26日逝去)です。
名前 |
安倍晴明墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
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安倍晴明の偉大さが感じ取れる墓所でした。