奈良時代の清見寺へ。
清見寺の特徴
駐車場から石段を登り、厳かな雰囲気を感じられます。
清見寺は奈良時代創建、歴史的な背景があります。
東海道線が通る独特な光景が楽しめる場所です。
近くに 居ながら初めて 行きましたょ無料駐車場も あり静かな 厳かな所でした。お寺の中は涼しく景色も良く オススメスポット間違いです✨
とても見応えがあるお寺でした。駐車場はあり。葵紋が至る所にある、徳川家が大スポンサーだったお寺。琉球の王子も眠っていて、贈り物が展示されていたり、お墓は海が見えるようにかなり高い場所に眠ってます。かなり見応えがありました。近くに西園寺公望の別邸もあり無料で見られます。5月下旬から6月が庭園が華やかな季節らしい。桜エビも食べらる由比も近いし、静岡観光に結構おすすめだと思う。
境内を東海道線が通るという他ではなかなかない光景。もちろん、お寺の方が先にあったんだけど。山門、総門、鐘楼、大方丈と見どころ多し。臨済寺と同じく家康手習の間があり、歴史を感じます。帰り際に東海道線が通過したので写真を撮ってみました。
清見寺は奈良時代に創建され、東北蝦夷に備えて設けられ、重要な拠点だった清見関(きよみがせき)の鎮護として、関所の脇に建てられた仏堂が起源だといわれています。室町時代、足利尊氏や今川義元の帰依を受けて駿河国の中心的な寺院となりました。しかし、東海道の要衝であるため、戦国時代には甲斐の武田氏や相模の北条氏の侵攻を受け、伽藍が焼失するなどの戦禍を被りました。現存する建造物の多くは江戸時代末期に再建・改築されたもので、戦火で焼失した伽藍を再建したのは豊臣秀吉、徳川家康でした。山門上部の欄間の彫刻は、日光東照宮の眠り猫の作者として有名な左甚五郎の弟子によって1651年に製作され、釘を一本も使っていないのが特徴です。臥龍梅と呼ばれる梅の木は徳川家康が接ぎ木をしたと伝えられています。鐘楼は1863年に改築されたものですが、梵鐘は鎌倉時代後期の1314年に鋳造され、豊臣秀吉が北条氏討伐のため韮山城へ出陣した際に陣鐘としてこれを用いました。大東亜戦争では、多くの寺院が梵鐘を国に供出しましたが、中世に作られたこの鐘は大変貴重なものとされ、供出を免れました。寺院内には多くの詩文が掲げられています。理想郷を意味する「蓬莱島」「十洲」「三山」という語が書かれた詩は第1回朝鮮通信使が詠んだものです。この詩は江戸城で将軍・秀忠に謁見した帰り道に詠まれました。徳川家康は清見寺に滞在した一行のために船を出し、三保の松原を鑑賞させたといいます。この詩は清見寺からの景色と家康の歓待の素晴らしさに対する返礼だったといいます。以後、朝鮮通信使は200年で12回まで続きました。また、琉球通信使も清見寺を訪れています。1610年、琉球王国の王子尚宏は、江戸に向かう途中、駿府城の徳川家康に謁見した直後に病死しました。家康の指示で清見寺の墓所に埋葬され、以降、琉球通信使は江戸参府の途中、この墓所に必ず参詣したといわれます。清見寺にはその家康の幼少期の手習いの間が保存されています。今川家の人質だった家康はここ清見寺で住職の太原雪斎から教育を受けていました。明治時代には、鉄道の敷設に伴って境内に線路が敷かれ、現在の姿となりました。
名前 |
清見寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
054-369-0028 |
住所 |
〒424-0206 静岡県静岡市清水区興津清見寺町418−1 |
HP | |
評価 |
4.2 |
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駐車場から石段を登り総門をくぐると清見関の鎮護として、奈良時代に創建された清見寺があります。今川家の人質だった家康が幼少期に使用した「手習いの間」等あり見どころ満載のお寺です。御朱印頂きました(^^)/