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名前 |
東海道五十三次 桑名宿案内板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
東海道「南大手橋」北に建立されています。案内板、周辺ととても綺麗に維持・管理されています。案内文を引用しご紹介します。【東海道五十三次 桑名宿】江戸時代の東海道は、慶長六年(一六〇一)正月に定められ、桑名宿も設けられた。江戸から約九六里(約三八四km)、京都から約三十里(約一二〇km)であった。宮宿(熱田)から海上七里(約二八km)、四日市宿までは陸上三里八町(約一三km)。七里の渡し場から川口町、江戸町、片町、京町、吉津屋町、鍛冶町、新町、伝馬町、鍋屋町、矢田町、福江町までが桑名宿であり、さらに大福、安永を通り、町屋橋を渡って、東海道が続いていた、天保一四年(一八四三)調べでは、宿内人口は八,八四八人であり、本陣二軒、脇本陣四軒、旅籠屋一二〇軒があった。