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名前 |
本願寺跡/地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
東海道沿い天武天皇社南西に位置。地蔵尊は地域の皆さんらにより綺麗に維持・管理されています。又、墓地横には梅花佛鏡塔が建立されています。本願寺跡について説明板が建立されていましたので引用しご紹介します。【本願寺】当寺の由来は不詳ですが、江戸時代は本願寺村があり、古くからの古刹(こさつ)であったと思われます。境内に俳聖松尾芭蕉の門人である各務支考(俳号東華坊など)の分骨供養塔である「梅花仏鏡塔」があります。支考は蕉門十哲の一人で美濃派の創始者であり、美濃国だけに限らず近国に多数の門弟を抱えていましたが、支考が享保十六年(一七三一)美濃国で亡くなると、桑名の美濃派俳諧の指導的立場にあった雲裡坊杉夫は支考の墓に参詣しやすいように分骨を受けこの地に鏡塔を建立しました。ほかに松尾芭蕉の「今日斗り人も年よれ初時雨」や雲裡坊から続く桑名の俳句結社「間遠社」の歴代社長句碑十基があります。と、なっています。