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この地域の歴史は古く、岡崎と足助を結ぶ街道は、その距離が七里あることから「七里街道」ともよばれ、明治時代まで巴川の右岸、今の岩倉町から穂積を通り足助へと続いていました。往時は塩を始めとする物資の輸送のほか、遠く信州の善光寺、坐光寺(元善光寺)、御嶽山詣りなどをする人などでにぎわったと伝えられています。自治区の変遷は、明治22年の町村合併で酒呑、白瀬、重田和、西野、二本木、則定、霧山の7集落を併せ穂積村となり、昭和45年豊田市との合併に合わせ、穂積町自治区が誕生しました。