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鯉料理「大黒屋」さん西に祀られていて。境内、建造物等綺麗な維持・管理されているお堂です。ここの御本尊は片足を組んだ半跏像(はんかぞう)です。同じ半跏像は四日市市平津町八風街道沿いにもあります。※由来説明文を引用しこ紹介します。【地蔵堂の由来】当、地蔵菩薩の奉祀の由来については、これを証する資料は残されていません。しかし乍ら、片脚を組んだ半跏像といわれる珍しいお姿の御本尊は、その作風から考えて室町時代末期(一五〇〇年代)から上流社会の間で盛んになり、鎌倉時代(一二〇〇年代)にかかる頃から庶民の間に侵潤していきました。江戸時代に入ると「新しく生まれた子の健康と長命を願う」延命地蔵など様々な名を冠した地蔵が庶民の信仰を深めました。このようにみるとき、当地蔵尊は庶民の地蔵菩薩信仰の歴史と共に生まれ、江戸時代よりは延命地蔵として広くこの柚井の村人の信仰を集め、縁日といわれる二十四日、とくに八月は地蔵盆としていろいろなな行事が既に早くから行われてきていたものと思われます。明治に入り二十四年(一八九一年)御堂の改築が行われ、以来、大正、昭和を経て丁度百年に当たる平成三年(一九九一)本堂を全面改築し今日に至っております。なお、並祀されております薬師如来の由来も亦、不明確ですが、長く多度山麓、西城の地にお祀りされてきたところ明治の神社統合に際し、宇賀神社に合祀されることになりましたが、御佛であるため御堂の一隅に安置されてきました。しかし、昭和二十七年(一九五二)宮川地区の人々の手により改めて当地蔵堂に併せ祀られることになったものです。と、なっています。