伝説の井戸、冷たく清らか。
柳の井戸(東京の名湧水57選)の特徴
弘法大師が錫杖で噴き出させた伝説の井戸です。
麻布の仙台坂近くに位置する、歴史ある名湧水です。
原因不明の自然湧水、武蔵野台地の末端にあります。
弘法大師が錫杖で噴き出させたという泉は日本各地でありますがここもそういった伝説があるようです。東京では自然泉が少ないので希少な泉であることは確かです。関東大震災と第二次大戦のアメリカ軍の空爆で甚大な被害を受けたこの辺りでは生命線といって良い泉です。すぐ横に大きな柳があるのが目印です。
東京の名湧水57選を見に行った。珍しく自然に湧いてる水らしい。自然に湧き出る湧水である。東京の市街地ではこのような泉が比較的少ないため、古くから有名で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突き立てたところ、たちまち噴出したものだとか、ある聖人が柳の杖を用いて掘ったものであるとか、信仰的な伝説が語りつがれてきた。とくに現在のわれわれにしてみれば、大正十二年の関東大震災や昭和二十年の空襲による大火災の際に、この良質の水がどれほど一般区民の困苦を救ったかを心にとどめ、保存と利用にいっそうの懇親をはらうべきものと思われる。
武蔵野台地の末端、麻布台地から染み出す23区内で数少ない自然湧水。善福寺の崖上、韓国大使館前の仙台坂沿いは長い間貸し駐車場でしたが、麻布台1丁目南部が広大な更地になり、再開発で工事が始まりそうですね。また森ビル的な構造物ができるのでしょうか?もういいんじゃね?って思いますがね💦湧水マニアとしては湧水の枯渇がないように祈るばかり!
明和二年中秋建之銘。正面に四言詩が刻まれている。『楊柳水銘』の題額は藤公縄。四言詩の撰文は藤定福。謹書は葛辰による。詩文は毛詩の『泉水』をオマージュしたものの様である。碑文私訳】謹み深い彼の石泉は,窪みを満たして流れていく。空海のかけたまじないにより,その霊力は長い間留まっている。しなやかなヤナギ,水中の影が浮かんできている。飲む者は病が治り,その霊徳は千秋を潤すことだろう。ここまで】日本各地には,「弘法大師空海が杖を突くと地面から泉が湧き出た」という類いの伝説が良く見られる。これは「弘法清水伝説」として類型化されているが,当地の「柳の井」もこの類いである。なお,「弘法大師ではなく,親鸞上人が杖を突いた」等の異説もある様だ。以下は,翻刻と書下し。翻刻】毖彼石泉 盈科而流空海所呪 其霊永留阿那楊柳 水中影浮飲者治疾 徳潤千秋書下】毖たる彼の石泉,盈科して流る。空海の呪う所,その霊永く留まる。阿那たる楊柳,水中の影が浮かぶ。飲者疾を治め,徳は千秋を潤す。
善福寺総門前に古くからある有名な井戸で、弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突きたてたところ噴出したものだとか、ある聖人が柳の枝を用いて掘ったものであるとか、いろいろと伝説があります。関東大震災や昭和20年の空襲による大火災の際に大いに役立ったそうです。今でも僅かですが、こんこんときれいな水が湧き出しています。都心にこんな自然の井戸が残っているなんて素敵ですね。
ここは楊柳水といい、往時善福寺の境内で総門の内であり、かたわらにうなり柳があったので俗に柳の井戸と言う。また弘法大師が日立の鹿島明神に祈願して得た閼伽井であると伝え「鹿島清水」という(江戸名所図会)。傍らに公家の阿野公縄篆額、梅小路定福作銘、松下烏石書丹の碑が建つ。明和2年(1765)建。烏石は京都の吉祥院天満にも「鑑井之銘」碑を書いている。・楊柳水銘毖彼石泉 盈科而流 空海所呪 其靈永留阿那楊柳 水中影浮 飲者治疾 德潤千秋藤公繩篆 藤定福銘 葛辰書[臥13004]
| 名前 |
柳の井戸(東京の名湧水57選) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-5388-3547 |
| HP |
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/conservation/spring_water/tokyo/place_01.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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2024年6月9日、午後訪問麻布の仙台坂の近く、善福寺の入口から山門に向かう参道にある井戸手水舎という建物ではないけどちょっと変わった構造の井戸で吐水口はコンクリートで少なめやけど冷たくて綺麗な水が出てやしたよ🚰脇には柳の木がありなるそどなあ、と思ったさあ。