静かな竹林で心潤す場所。
建功寺の特徴
竹林や苔庭が美しく、心安らぐ癒しの場所です。
歴史ある曹洞宗のお寺で、諏訪氏の菩提寺として有名です。
悪天候の日でも幻想的な除夜の鐘が心に響きます。
横浜ではあるが、郊外に来ているような雰囲気が漂うイメージの所ですが、人手はまずまず。明るく静かに盛り上がりました。終了後の蛍の光が何か切ないねぇ。
徳雄山瑞雲院建功禅寺といい曹洞宗のお寺になります。御本尊は釈迦牟尼仏です。建功禅寺は永禄三年(1560年)に小田原北条家に仕えていた第五代目の寺尾城主である諏訪三河守右馬之助が開基したお寺になります、諏訪家の菩提寺を建立することを思いたった諏訪三河守右馬之助は伊勢原にある龍散寺の大洲長譽和尚を迎えて建功禅寺を建てられました。そのために寺紋は諏訪氏の替紋である「諏訪梶」が現在も使用されています。明治三十一年(1897年)に当時石川県の能登半島の輪島にあった大本山總持寺の火災による諸堂宇焼失の後に、本山再建にあたり首都圏の鶴見への移転が正式に決定され本山の工事が始まった時に建功禅寺の第十五世宏道和尚が多大な尽力をした、その功績により明治四十年(1907年)大本山總持寺貫首より本山近門寺院に列せられて永代色衣着用の寺格を特別に許されたお寺です。
ここ建功寺は、諏訪氏の菩提寺で、唐門が、あり城感を感じさせとても良い場所でした✨✨寺尾城の御城印は、ここの総合受付で、買えました。良かったです!
謎に敷地が広い(失礼ですみません)。お墓は100基以上ありそう。周辺はサビレてるのに、なぜだろう。この寺の歴史看板が無いので、どうしてここに建っているのか、どんな上人がおられたのか不明である。寺の横に、人工チックな小さい川が流れており、この川は昔「血の川」と呼ばれていたそうだ。なんでも武士が鎧兜を川で洗って、着いていた血が川を赤く染めたからだとか。ふーむ、武士が居るぐらいデカイ村だったのか?周りを見れば、老舗の音楽ショップ(今時にか!)や中華料理屋もある。やはり、スゴい村だったのかも。それはさておき、緑や竹林、鳥の鳴き声など、穏やかな時間が流れております。これと言った見る物は無いけど、イスに座って、ボーッとしてみるのも。(アップした後、他の方のクチコミ見たら、由緒があったんやね。まあ、答えを見る前に、あーだこーだ妄想するのもアリで。)
YouTubeを検索すると動画があります。#建功寺建功禅寺は、永禄3年、(1560年)小田原の北条家に仕えていた五代目寺尾城主諏訪三河守右馬之助が開基のお寺です。諏訪氏の菩提寺を建立することを思いたった諏訪三河守右馬之助は、現在、伊勢原にある龍散寺の大州長譽和尚を迎えて、建功寺を建てられました。山号の徳雄山とは、諏訪三河守右馬之助の武士としての勇ましさ、『徳勇』が後に徳雄に変わったものです。五代目寺尾城主が寺院としての伽藍を整える以前は諏訪家の菩提処として、『瑞雲院』と呼ばれており、北条早雲の正式名の『宗瑞北条早雲』から、『瑞』と『雲』の2字を賜り『瑞雲院』として忠誠を誓ったと言われています。寺号の建功寺とは、開基である、五代目寺尾城主諏訪三河守右馬之助の武勇をたたえ、その功績をもって建立した寺として建功寺とし、正式名を『徳雄山瑞雲院建功禅寺』と呼びます。諏訪氏が開基である証として、諏訪氏の替紋である『諏訪梶』が寺紋として現在も伝えられております。
令和3年11月23日訪問。手入れが行き渡っている建功寺さんを散歩して参りました…。秋を感じる色とりどりの葉…この綺麗な景色は、壇家の皆様の壇那で維持されています。壇家の皆様、ありがとう。景色を堪能させて頂きました。
静かで手入れが行き届いた素晴らしい庭園を散策するだけでも行く価値がある。新しい本堂は、住職の枡野俊明さんが携わって建てられたもので、これから何百年も受け継がれていく立派な建造物。一見の価値がある。
鶴見駅西口からバスで20分くらいの所にあります。本堂は、最近建て替えられて、綺麗です。周りの景色も絶景で、馬場花木園が近くにあります。
本堂はリニューアルされて気持ちの良い環境です。法要で伺いましたが正直なところ心に響くところは???
名前 |
建功寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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竹林の中の鐘楼や苔と古井戸の庭が素敵参道も木陰で風が通り気持ちが良い本堂の中から見える巨大な石も凄い。