横浜開港の歴史、英一番館跡地。
英一番館跡の特徴
1859年にイギリス系企業が開設した貿易の拠点です。
ジャーディン・マセソン商会が初めて進出した日本の地です。
シルクセンターの脇に位置する近代史跡で銀杏並木が美しいです。
1859年(安政6年)開港した際にイギリス系企業のジャーディン・マセソン商会が横浜支店を設立して貿易を開始した場所です。日本に進出した外資系企業の第1号だそうです。その場所が外国人居留地の一番地で 住民からは「英一番館」と呼ばれていました。
英一番館跡安政6年6月2日(1859.07.01)横浜が開港した。イギリス人、ウィリアム・ケズウィックは、開港と同時に帆舩で横浜に来航し、居留地一番館において貿易を始めた。この建物は、ジャーディン・マセソン商会と称したが、当時の人々が「英一番館」と呼んでいたのは、この地点である。
開港当時のハイカラ感を味わえます。横浜の歴史をたどる史跡の一つですね。山下公園などに行く途中で見つけられると思います。
日本に進出した外資系企業の第1号といわれ、その場所が、外国人居留地の一番地で、 住民からは「英一番館」と呼ばれた。
横浜開港とともに建てられた外国商館(通称:英一番館)の跡地であり、現住所は中区山下町1番地です。
シルクセンター脇にあります。
国際貿易観光会館(シルクセンター)の横にひっそりと佇んでいます。晴れた日などは後ろに立つシルク博物館の女性像(銅像)と一緒に撮影するのも楽しいです。英一番館跡地の碑は、「えいいちばんかんあとちのひ」と読むそうです。神奈川県国際文化観光局のサイトを見ると、この英一番館跡地の碑は「横浜開港以来、横浜の主要な輸出品であったのは生糸でした。英国貿易商ウィリアム・ケズウィックは日本の生糸の品質の高さに目をつけ、他に先駆けて居留地にジャーディン・マセソン商会の横浜支店を開設しました。地元住民たちは「英一番館」と呼び、現在、跡地のシルクセンターに記念碑が立っています。シルクセンター敷地内に生える桑の木は、県下の養蚕地であった津久井郡から開港当時に移植されたものです。」とありました。
1859年の横浜開港により、商機を求めて外国人が来ましたが、既に中国、香港で絶大な力を誇っていたジャーディン・マセソン社(JM)がこの場所に開港の年に支店を設立しました。開港後の最初の外資企業と言われています。創業者のイギリス人ジャーディンとマセソンは19世紀前半に中国広州でアヘン取引きで巨富を築きました。清朝がアヘン取引きを規制しようとすると、JMはイギリス政府に戦争をけしかけて1840年にアヘン戦争が起き、アジアの激動の時代が始まりました。1863年にJMは伊藤博文ら長州五傑のイギリス留学を支援していますが、江戸幕府末期の混乱時に日本の将来や人材を見抜いて影響力を行使した先見性は恐るべきものと感じます。途中の上海で欧米列強の威力と清朝の苦境を見た伊藤博文らは攘夷の無謀を悟り、開国に転じたと言われています。JMが設立に関与した香港上海銀行(現HSBC)は現在も世界最大級の金融会社です。ライオン2頭の像が有名な香港のビルは香港金融街(中環、セントラル)のシンボル的存在として周囲を威圧するような不気味なオーラを発しています。私はギーガーの陰鬱な造形を何となく連想します。香港ドルの発行銀行です。
日本に進出した外資1号と言われる、ジャーディン・マセソン商会があった所。1860年に初代の建物が完成。ちなみにジャーディン・マセソン商会は、現在でも巨大企業として存続している。マンダリン・オリエンタルはこの会社の系列。
名前 |
英一番館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.1 |
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旧山下町居留地1番館。シルクセンターの横にある。シャーディン・マセソン商会が初めて日本に開設した支社がここだった。309