江戸の面影を感じる本陣跡。
保土ケ谷宿(苅部)本陣跡の特徴
保土ヶ谷宿は苅部家が当主を務めていた本陣跡です。
慶長6年に設置され、歴史的な重要性があります。
交通量の多い国道沿いに、立派な石碑が残されています。
保土ヶ谷宿で最も有力な家だった苅部家が、この本陣の当主を務めておられたようです。参勤交代の際はこの建物含めた奥に大名や幕府の役人が宿泊されていたようです。歴史ある建物なのでもう少し保全するなり維持活動されても良いのでは、と感じました♪
慶長6年(1601)武蔵国橘樹郡程ヶ谷(現・神奈川県横浜市保土ケ谷区)に置かれました。保土ヶ谷本陣・苅部氏の祖先は後北条氏の家臣で、武蔵国・鉢形城の城代家老を務めていた苅部豊前守康則です。保土ヶ谷宿の本陣・名主・問屋の三役を拝命、1870年(明治3年)に本陣が廃止となるまでの約270年11代にわたり三役を務め、歴代当主が苅部清兵衛を名乗ってきました。明治元年の明治天皇東幸時に姓を「苅部」から「軽部」に改称、現在も同地に居住しています。ここ、軽部さんのお宅なんですね。
本陣跡。歴史ある建物が建っていますが本陣として使っていたものではなさそうです。軽部家の方が今でも裏の敷地にお住まいのようです。
交通量が多い国道沿いに本陣跡が残っているのは素晴らしいですね。
メルマガ門らしきものが有ります。策に囲われていますし、国道一号線の交通量が多いので、情緒も有りませんね。
立派な石碑があります。当時の建物は何もないに等しいが、いちおう看板裏の建物は苅部(軽部)家の住居らしい。中が見学できるわけではないが、これがあるだけでも神奈川本陣よりマシかも。
鄙びた感じが。
江戸時代の四街道にはそれぞれ宿場町があり、その中で大名が宿泊する宿を本陣と言いますが、東京でも埼玉でも神奈川県でも残ってました。
外観が魅力に乏しい。交通混雑の位置で、少し位置をずらして、渋滞解消欲しい。
名前 |
保土ケ谷宿(苅部)本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒240-0021 神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町1丁目68 |
評価 |
3.1 |
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フェンスの向こうにあるのは当時の門の一部だろうか。チェーンで繋がれていた。こちらも説明がイラスト入りなのは良い。石碑は大きさの割には存在感が薄すぎる。なぜ、こんなにも低くしたのか。状態も悪く背面はかなり読みにくくなっている。