源平史跡で泣ける体験!
首洗池の特徴
石川県に残る源平史跡としての魅力があります。
池の周りには感情豊かな像が点在しています。
整備された景観が訪れる人を心地良くさせます。
小さな駐車場と、池と東屋、看板と銅像があります。連休中ですが訪れる人はまばらであまり手入れされてない感じがしました。
石川県に残る源平史跡の一つ。小ぢんまりとした公園ですが綺麗に整備されてます。展望台からは、柴山潟と白山の眺望が楽しめます。尼御前史跡と合わせて訪れていただきたい場所です。駐車場もあります。
池の周りの像が泣いているように見えてもらい泣きしそうになりました😭哀しい歴史を学びました。駐車場は6台。トイレもあります。季節、季節の花も楽しめました。1183(寿永2)年の篠原の合戦で討ち果てた、老武者斎藤別当実盛の首を洗ったといわれる池です。実盛は木曽義仲の幼少時の恩人であり、白髪を黒く染めて戦いに赴いていたとされ、あらわになった白髪を見て義仲は号泣したと伝えられています。芭蕉の句碑「むざんやな甲の下のきりぎりす」が立てられています。
最高にかっいー!爺ちゃんの死にざまを感じられる場所です。時代は、源平合戦の最中です。爺ちゃんの名前は、斎藤別当実盛。実盛は平家物語において「実盛最期」と一章をあげて描かれています。実盛は以前は源氏に使えていましたが、最期を迎えるときは平家側にいました。歳も73歳になり、故郷(隣の福井県)の近くで最期を迎えようとして、戦の準備をしました。白い髪では恥になると思い黒く染め、大勝より大勝しか着用が許されない錦(赤)の直垂(鎧の下に着用するもの)を来て、戦の最期には一騎奮戦して、あえて名乗らず手塚光盛に討たれました。首実検の際に、あえて名乗らなかった不思議な大勝の首を源氏の大勝 木曽義仲に見せました。それを聞いていた樋口兼光に見せたところ、この首に見覚えが有るが、実盛ならば70歳を超えている。と言ったので、木曽義仲がこの首洗い池で首を洗わせたところ、白髪の実盛の首が現れました。実盛は、木曽義仲が2歳頃の命の恩人だったので、その場で人目もはばからず泣いたと伝えられております。そして、その話を聞いた源氏達も皆泣いたといいます。なので、池の近くの銅像は首を抱いて泣いている木曽義仲が描かれています。また、木曽義仲は遺体を実盛塚に埋葬して(今でも立派に美しくされています)、鎧兜を多太神社に自分の鏑矢を添えて奉納しています。この神社は少しはなれていますが、式内社なので格式の高い神社に奉納したことがうかがえます。また、この話しが元になって、実盛の亡霊が池の淵に出ると有名になって世阿弥により、能楽「実盛」、歌舞伎にも演じられてますし、亡霊をおさめたという宗派の僧侶の宗派では、1番偉い人が代替りする時は今でも訪れる慣わしになっているといいます。また、奥の細道で松尾芭蕉には、「むざんやな 甲のしたの きりぎりす」と歌われています。
綺麗に整備されて気持ち良くなりました。東屋内に源平合戦物語が絵巻の様に書いてあり、初めてじっくり読みました。駐車場から丘に登る新名所「手塚山公園」と言っても広場ですが、階段もでき芝生も敷かれて椅子に座って柴山潟を望むのも心地よくなりました🤗今は桜満開🌸来月は花菖蒲が綺麗に咲きますよ😍
名前 |
首洗池 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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タクシー🚕に乗って来ている人もいました。運転手さんがガイドしていました。