豊臣秀吉築城の伝説、墨俣城。
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)の特徴
豊臣秀吉が一夜で築いた伝説の城があります。
旧東海道と旧東山道を結ぶ交通の要衝です。
歴史漫画でも語られる墨俣城のエピソードが残っています。
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜にして築いたと言われる、伝説のお城。現在の建物は、天守の形もした資料館。廻りの景色に良く映えます❗
目の前に駐車場がありますが、5〜6台分しか無いので、徒歩5分程のさい川さくら公園駐車場を利用させてもらいました。200円の割には見応えのある展示で良かったです!
旧東海道と旧東山道を繋ぐ美濃路、交通の要衝、川の合流点、泥濘な土地の拠点(城)。プレハブ発想の築城した木下藤吉郎(秀吉)の歴史資料館になってます。
豊臣秀吉が一夜で築城したと言われるお城。歴史的根拠がなく実在してない説が有力ですがそれを度外視しても素晴らしいお城です。桜のシーズンかベストですが立地が良いのですいつ来ても楽しめます。
墨俣城は、戦国時代に織田信長の家臣である木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が築いたとされる城です。1566年、織田信長が美濃攻略の拠点とするため、藤吉郎に命じて築城されました。この城は「一夜城」とも称されるほど短期間で完成し、織田軍の迅速な戦略展開に大きく貢献しました。墨俣城の築城は、信長に対する藤吉郎の信頼を深め、その後の彼の出世につながる重要な出来事でした。この成功により、秀吉の知略と実行力が広く認められ、戦国時代の名将としての地位を築く一助となりました。墨俣城のエピソードは、秀吉の伝説的な築城技術と戦略性を象徴するものとして知られています。
織田信長が、美濃の斎藤氏を攻める際、家臣だった秀吉が一晩で城を築き、攻撃の拠点とすることで攻め落とすことに成功したといふ・・・歴史漫画でこのようなエピソードを見たことがあったわけですが、その伝説が残る地に、本当に城を築いたのが当施設です。その話自体はハッキリとした裏付けがなく、今日では史実と異なるかもしくは城とは言えない簡易的なものだった可能性が高いとされているそうですが、本当に城を作ってしまうノリは自分は好きですね。大垣市にはほかに大垣城もあるせいか、あまり当施設に関する積極的な紹介や案内がなく、実際人も多くはなかったです。ただ駅から徒歩圏内じゃない一方で駐車場が少なく、あまり有名になりすぎるとオーバーツーリズムになりそうな気がしないでもないですが。周囲は川が入り組んでおり、道は分かりづらいですが見通しはいいので城自体が目印になります。最上階からの展望はどちらの方向も川でしたw
名前 |
墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0584-62-3322 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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豊臣秀吉が一夜にして築いたとして伝えられているお城。出世橋からの眺めは時代劇のワンシーンを思わす様でした。今度は桜が満開の時期に来たいと思いました。