展望台から四季折々の絶景。
枡形城跡の特徴
枡形山展望台からは、四季折々の美しい眺望が楽しめます。
生田緑地にあり、歴史を感じながらの散策が魅力的です。
高台に築かれた城郭の名残が、訪問者を惹きつけます。
生田長者穴横穴墓群側から階段を登って飯室山広場で一休みしつつ枡形山展望台に!飯室山広場まではうっそうとした山の中をひたすら階段を登るのでかなり不安でしたが飯室山広場の展望は予想外見晴らしが良く丁度良い休憩ポイント。ここから、枡形山展望台(枡形城跡)はわりと平坦な山道であっと言うまに着いた!展望台では鎌倉殿の13人のパネル展示があったり、エレベーター付きの展望台を登ると可愛い12支の銅像?があったりと充分楽しめた!帰りは古民家園をかすめてかわさき宙と緑の科学館に抜けたがこちらは、ベビーカーも通れる位の道で坂はあるが楽々歩けた。2022/11/19
城砦跡としての評価★★景勝地としての評価★★★★展望台からの眺望がとにかく良く、眼下には秋なら紅葉の山々が見える他、通年、稲毛氏の後の扇谷上杉が最後の本拠地にした小沢城=読売ランドの山々、都庁、スカイツリー、東京タワー、横浜ランドマークタワーが見渡せる。同じ生田緑地内に隣接する日本民家園、生田緑地、岡本太郎美術館と合わせて訪問すると半日充実した時間を過ごせるだろう。稲毛氏の本拠地だったとする説もある平安末期~鎌倉初期のまだ築城に工夫が無かった時代の城塞。城としての遺構は土塁が撤去されてしまったり公園化で道が拡張されたり堀切が均(なら)されてしまったりコンクリで盛土され埋められてしまっているが、本丸の枡形広場にも他の城の状況と相対評価すると帯曲輪だったと思われる50cm位の段差も枡形山展望台下の広場南東側に見られる。生田緑地西側駐車場側から枡形山展望台に行く途中にも裾切りされた尾根道や公園化でコンクリで盛土された堀切等が数ヶ所残る。飯室山との間側にも裾切りされた尾根が有り堀切地形がある。飯室山の展望台が有る削平地も出丸と表現されているが、そもそも桝形城の一部だろうし、山麓の長者穴横穴墳墓の古墳群の在る谷も平場が有るが明らかに曲輪の跡だろう。飯室山から北に伸びる開発準備でハゲ山にされている桝形6-1の私有地の山は逆にハゲ山にした事で連絡式の平場が剥き出しに成っている。川崎市教育委員会は私有地の開発利権と対立をさけたいのだろうが、あれが遺構じゃないと言うなら日本100名城の八王子城の金子曲輪等も❝城ではない❞と川崎市は八王子市と公益財団法人日本城郭協会に対して主張し喧嘩を売るに等しい行為に成る訳だ。迅速測図にも地形が測量されているので言い逃れは出来ない。ちなみに川崎市役所は現在、発掘調査結果を開示しない物もあるが❝つまりそう言う事❞な訳だ。城郭ファンが見て明らかに自然地形を裾切した人工拡張され断崖にされた空堀地形や横矢をかけ四角を組み合わせた地形のふんだんに残る作延城址遺構が公園墓地内や東高根森林公園の遺跡広場周辺に有る事を発掘に城郭の専門家を一人もいれていないにも関わらず「自然地形です」と主張する「対応をさせている」現状が実際に有る。現地に年輩の善意で解説するオジサンがいて展望台の眺望を親切にガイドしてくれる。ただ城に対する知識は浅く話し半分で聞いた方が良く彼は城=近世城郭のイメージしかない程度と言えば城ファンには伝わるだろうか?全く城郭素人で彼の城としての情報は一人も城郭専門家がいない教育委員会の情報程度なので城ファンは飯室山にある縄張り図を参考にした方が良い。
鎌倉武士の稲毛重成公とその妻、稲毛女房様の山城。(妻の名前は不明との事です。なので通り名は「稲毛女房」となります。大河ドラマなどでは、昔から仮の名前を役には付けています。今やっている「鎌倉殿の13人」では、「あき」という仮名を役に付けていますね)本姓は二人とも平氏。(稲毛女房様は源頼朝公の妻である北条政子様の妹です。北条時政公の四女)城址からは東側に東京の町を見下ろせます。西側はガスっていなければ富士山や丹沢、奥多摩等の山並みが見渡せます。
生田緑地にある見晴らしの良い場所。無料で展望台に上がれる。赤城山や筑波山を確認できた。東京のビルやタワー🗼も肉眼で見える。双眼鏡があるといいかも。近隣に岡本太郎の美術館や民家園がある。有料。小田急の向ヶ丘遊園駅から、歩いて行くと良い散歩コース。
北条政子の妹を妻に迎え、源頼朝の重臣として活躍した稲毛三郎重成が、ここ枡形山を城を築いたと伝わっています。稲毛三郎重成は源頼朝亡き後に謀反の疑いをかけられ討たれてしまいます。そのお墓は妻とともに升形山の麓にある興福寺に祀られています。また、升形城は、室町時代には、山内上杉氏の討伐を狙っていた北条早雲が軍勢を進めて枡形城に入るなど重要な拠点でした。
鎌倉時代の武将・稲毛三郎重成が築いた城です。現在は生田緑地内の枡形山展望台になっています。遺構はあまり見られないのですが、主郭の冠木門や塀が復元されています。また、石碑もあります。前述の通り、展望台があり、川崎や東京まで見渡すことができます。そのため、戦時中は見張り台が築かれたと言います。また、尾根続きの飯室山は出城と言われています。トイレ、駐車場などもあり良いです。登山道もキツくないです。
生田緑地の中にあり、登戸駅から散策路が整備され、都会の中のオアシスとして多くの人が訪れています。城跡には遺構は残っていませんが展望台があり首都圏を眺めることができます。
メインの枡形城址の碑ですが展望台に隠れて、ひっそりとあります。
広々とした高台。能舞台風の展望台がご自慢です。天気が良いと四方360度の見晴らしです。そろそろ桜が咲き、より一層楽しませてくれます。地元のご自慢スポットです。
| 名前 |
枡形城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
044-200-3305 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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枡形山の頂上にあったという山城の後。稲毛重成の後に多くの武将がかかわったというこの城は、近隣の城と合わせ、鎌倉の防衛線として重要な役割を果たしたのだと思います。枡の形をした山と言う通り、山の下から切り立っ崖が天然の要塞と言えると肌で感じました。ここには猪を捕まえるための落とし穴も発掘されたという説明パネルもあります。川から近く、そして獣を狩ることができる猟場もあったこの地域は、古くから人が定着していたことが窺えました。