戦国の歴史を感じる館山城。
舘山城跡の特徴
標高311mの館山城跡は、比高約30mの国史跡です。
歴史的評価が高まる館山城は、枡形の石垣が魅力的です。
整備は不十分ですが、フィールドワーク好きには楽しい城攻めができます。
伊達晴宗により築城されその後上杉氏により石垣で整備されたが関ヶ原以降廃城になったとされる城麓の大手口からそんなに高さはなく5分もすれば登れる。途中鹿と遭遇したり野生動物が多いので用心する必要がある。城跡は石垣や枡形虎口、郭を区画する堀切がよく残されており、発掘調査の結果も案内板に掲示さている。城域は見学しやすいようよく整備されており戦国時代の山城がわかりやすくなっている。
館山城伊達政宗が生まれた城、秀吉に廃城にされたので改造されていない戦国感たっぷりの城駐車場は城内の最初の芝生の曲輪に大量に停められます、すぐ横に仮設トイレ麓の芝生の城館跡地を奥に進むと小さな小屋に縄張り図のパンフレットがあります1枚頂いたら出発です、つづら折りの山道を登ります、標高差は60m位あります途中に説明看板大量で分かりやすいです土塁、堀切、竪堀、枡形虎口など戦国セット揃ってます最上部の曲輪3の奥、左に物見台への細道、是非行きましょうその後は川側の道で堀切の土塁の上を歩いたりしながら戻るのが良いでしょうお疲れ様でした。
たてやま城。伊達晴宗が桑折西山城から舘山城に拠点を移し、輝宗後、政宗が岩手山城に移るまでの主城。3つの曲輪、主郭、馬出、西曲輪から構成される。堀切、土塁、桝形、虎口、物見台など見どころ満載。各所に説明板あり。国指定史跡。
121号から路地へ入り細い橋を渡り発電施設を通り過ぎた先に駐車場が有ります。二河川の合流地点にあり、河川に削られ崖となり天然の要害のようです。昔は駐車場の先の地点に橋がかかり大手だった模様です。Ⅰ、Ⅱ曲輪が広大で、Ⅰ郭の東に上部の発電施設が有ります。ⅠⅡ曲輪の間に土塁空堀があり、北方に升形虎口が有ります。根元のみ石組が残ります。ⅡⅢ曲輪の間にも土塁、暗渠が通る空堀があります。土橋を渡りⅢ曲輪の外側にも深い堀切があります。Ⅲ曲輪の南方に祠のある見晴台があり、城域南側の断崖が確認できます。
標高311m、比高約30mの国史跡🏯説明板🪧、駐車場🅿️、縄張図🗺️、飲料水🥤まで用意されてた👍️😆大手道を登ると枡形虎口♬広い曲輪を進むとまた枡形虎口♬石垣♬が残ってる仕切り土塁?♪付きの堀♪に土塁♪がドンと構えられてるのが主郭ラシイ背後土塁♪に堀♪はデッカイ🙌残し土橋♪を越えると塚のある曲輪物見台に上がると堀の深さが判る👍️北側には竪堀♪がいくつか見えた帯郭も残ってるなどなどなど タップリ遺構が残ってて見ごたえあるトコでした👌地形図アプリでも背後の堀切がハッキリ見えた 😮スゴッ
なかなか険しいですが歩きごたえあって楽しいです。保存会?の人たちに感激します入り口においてあるストックは使ったほうが良いです(笑)
ゴールデンウィークに城攻めしました。駐車場は奥の空き地のような場所です、本丸までは散策気分で本丸跡まで登れます。説明書きもあり興味のある方には時間を忘れるほどです。駐車場から本丸跡まで散策、往復1時間ほどです。
伊達家代々の城ですが、公園として整備されてなく、集落内の細い道を通った突き当たりにある発電所の舗装されていない、空き地に駐車しなければなりません。クチコミを見る限りでは一応、山城として散策路は整備はされてはいるみたいですが、自分が訪れた時は閉鎖されていて、入る事はできませんでした。歴史マニアの方でなければ、お薦めしかねますね😅。
登り口を間違えて、散々な目に合った。下調べをしとけばよかった(笑)遺構は、堀切がよく残っており、枡形虎口も見られるが、石積みは、上杉時代のものらしい。近年、伊達政宗生誕の地として、注目を浴びつつある。国指定史跡。
名前 |
舘山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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看板が結構たくさんあって歩きやすかった。手書きの看板も内容がためになって良かった。