弘法大師が待つ高野山の聖地。
弘法大師御廟の特徴
弘法大師空海が現在も安置される神聖な場所です。
高野山の奥之院に位置する国の史跡として知られています。
御廟橋から先は写真撮影が禁止されており、尊厳が保たれています。
空海・弘法大師ことお大師様が、今だ永遠の禅定により私達衆生をお救いくださる大変神聖な場所です。高野山に訪れた際には、ぜひ参拝したいですね。また、参拝すると、お大師様が御廟橋まで迎えに来て、帰りは橋まで見送ってくださるそうです。
弘法大師空海生誕1,250年。善通寺→教王護国寺(東寺)ときて。トリはこちら【高野山金剛峰寺】。お大師さまが入定されている、奥の院【御廟】へ。日に二度(朝6時、10時30分)毎日運ばれている食事。『生身供(しょうじんぐ)』の様子を見守り、朝一の御参りをもくろんでいたのだが、宿坊の開門が6時という事で、予定変更に。結局宿を出たのが、朝8年半。名だたる武将(信長公、信玄公、秀吉公)の供養塔を背にし、杉並木の大木の中を進む。30分ほどで【御廟橋】に到着。これより先は、聖域のため、📷等の撮影は厳禁。スマホの電源ボタンを切って、お大師さまが眠る『御廟』へ。厳かな気持ちで手を合わせて来ました。次回は是非とも朝一番(6時)の『生身供』を見届けたいと、心に誓いました。
御廟橋から先の写真撮影は禁止。ものすごくパワーに満ち満ちた場所。ヒットポイントが全回復する。写真は朝6時に弘法大師様に食事をお持ちする風景。
中の橋駐車場から入って参拝しました。巡礼の団体さんも居られましたが、皆さん神聖な雰囲気なので、静かに参拝されていました。御参りの時間は朝の方が善きですねぇ❣️朝しか観られ無い橋の下を覗くと朝日に照らされて梵字が浮かび上がり、思わず手をあわせました。丁度、紅葉が盛りの時期で天気も良く青空と雲と紅葉とのコントラストか綺麗でした。参道には歴史上有名な方々の墓所や大木とが凄く神聖な雰囲気になってました。
高野山 奥之院 弘法大使御廟所。四国八十八ヶ所を終えて最後にお参りに来る場所でもある。弘法大使信仰の聖地、今でも肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入ってお参りに来る人々へ救いの手を差し伸べていらっしゃるという。正式には一橋から参拝するそうです。今回は、一橋から約2キロの参道を歩いてお参りに行きました。20万基を超える墓石や記念碑、慰霊碑、樹齢千年を超える杉の木の中パワーを感じながらのお参りでした。金剛峯寺から奥の院に向かって国道371号線を北東に、しばらくすると二股に分かれる。正面の松の木、そこに茶色い案内板がある。左に行くと「奥之院参道入口 一の橋」とある。少し進むと右手に「一の橋観光センター」お土産物やさんがある。そのお土産物屋さんを過ぎたら、左に奥之院一の橋入口がある。
国の史跡・世界遺産。空海(弘法大師)が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並び、不動堂は国宝に指定されている。また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。金堂と大塔への入堂は有料。境内のみは無料。国の史跡・世界遺産。御廟橋の先に灯籠堂、その裏に空海の御廟がある。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。奥の院の入り口は2箇所あり、正式には一の橋からであるが、中の橋の前には無料大駐車場とバス停があるので参拝者のほとんどがこちらからである。一の橋から御廟までは約2km、中の橋からはその約半分の道のりとなっている。その途上には「弥勒石」などの七不思議と呼ばれる場所がある。
| 名前 |
弘法大師御廟 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0736-56-2002 |
| HP | |
| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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弘法大師空海が入定されている場所。(地下で修行をされている様です)御廟橋より撮影禁止です。御廟の手前に「燈籠堂」があり中に入る事ができます。場合により燈籠堂の地下も行く事ができる様です。複数の方が「静か」に祈りを捧げていました。………一の橋からは片道2km弱、、中の橋からは徒歩10分程で「奥の院」に到着できます。(近道)道中は戦国武将の墓が多数あります。空海の慈悲に帰依したいと願った織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 石田三成 武田信玄 上杉謙信 明智光秀….たがいに戦い合った者たちが至近に遺髪や遺骨を収めています。