寿亀山 弘経寺で彼岸花を堪能。
弘経寺の特徴
凛とした空気に囲まれた弘経寺で心を清めてみてください。
彼岸花の見頃に訪れれば、美しい曼珠沙華が楽しめます。
親切な住職さんの素晴らしい電話応対に感動することでしょう。
茨城県常総市豊岡町にある浄土宗の寺院である「 弘経寺 (ぐぎょうじ)」、山号は寿亀山。院号は天樹院。本尊は阿弥陀如来。到着し車を停めながらまず感じたのは「このお寺、ただのお寺じゃなさそう」という漠然とした印象。でほんとにただのお寺じゃありませんでした。まず目を引くのは参道右側にそびえ立つ杉の木。天然記念物です。杉の木をすぎると目の前に葵の御紋の入った賽銭箱。本堂の屋根にも葵の御紋。本堂の左手奥にあるのが、今回伺ったお目当ての市指定文化財である「 #千姫御廟 (せんひめごびょう)」です。千姫御廟をお参りして本堂前に戻り本堂を撮影していたところ、ゆっくり本堂の木戸が中央から左右に開いたのでびっくり。戸を開けたご住職の背後には金色のご本尊「阿弥陀如来坐像」が見えました。「よろしければ中へどうぞ」とご住職からお声がけいただき、ありがたくご本尊に手を合わせ、隅々まで見学させていただきました。ご住職から、弘経寺について・千姫様について・阿弥陀三尊像について・天井に書かれたお経についてたくさんお話していただきました。本堂内を見れて感動している僕らにご住職から、「ご縁ですね」とお声がけいただき、また感度してしまいました。いやぁ伺ってほんと良かった🍀✨🤩👍以下、HPより千姫は慶長2年(1597年)、徳川家康の孫・2代将軍秀忠の子として生まれました。僅か7歳で豊臣秀吉の子秀頼に嫁ぎ、豊臣家の滅亡にあたり、大坂城から救出され江戸へと送られました。後に本多忠刻(桑名城主・後に姫路城主)に再嫁し、1男1女を儲けるが忠刻とも僅か10年で死別し、この後は落飾して天寿院(天樹院)と号し、江戸城北の丸の竹橋の屋敷で余生を送りました。寛文6年(1666年)に没した千姫は、徳川家の菩提寺である伝通院に葬られましたが、落飾したときより当寺を菩提寺と定めていたため、弘経寺には遺髪が納められたとされておりました。千姫御廟は、本堂左手奥にあり,平成9年の保存修理により、これまで伝えられてきた遺髪ではなく、遺骨が納められていたことが判明しております。
彼岸花の見頃だったので来訪。昨年は埼玉の巾着田に行きましたが、ここにも巾着田に引けを取らないキレイな彼岸花の風景があります。むしろ、お寺の雰囲気と相まってさらに彼岸花が映えているかもしれません。さらに、9/24(土)に来た割には見物客もそれほど多くなく、ゆっくり彼岸花を見たり写真を撮ったりできました。また、お手水のところに彼岸花と若紅葉が。お寺の管理者さんが置いているようで、粋な計らいで、風情のある光景でした。
彼岸花はもう満開は過ぎた感じ…。千姫のお墓が有ります。宝物が沢山ある立て札が有りますが、普段は見れません。(;´д`)トホホ…
ここの住職さんの電話応対、参観した時の応対は毎年、素晴らしいですね。2023 9/18、彼岸花は早いと聞いてましたが、鑑賞に訪ねました。千姫が眠る由緒正しき寺院そのものでした。3日後に訪ねました。気温が下がったことで大分開花しました。黄色彼岸花、白がかった彼岸花も撮影することが出来ました。日曜日頃が見頃かもしれませんね。ゆったりとした気分にさせて頂けるお寺です。
令和5年9月25日に実家の墓参りも出来なかったため、同じ宗派のお寺さんへ参拝しようと思い、また彼岸花(曼珠沙華)が見頃だろうということで参拝させて頂きました。平日の昼飯時にも関わらず、駐車場が一杯であえなく退散、半時ほど過ぎてから再度行ってみると空いてました😅。ゆ~くりと散歩がてらに境内を散策し、本堂にて日頃の感謝、ご先祖様に感謝を伝え、写真を撮りながら約30分程の滞在時間でしたが、良き時間を過ごせました。朝は涼しかったけれど、日中は暑かった…
名前 |
弘経寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0297-24-0895 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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寿亀山 天樹院 弘経寺…千姫(天樹院)の 菩提所駐車場に車停めて寺の境内へ…落葉が昨日の雨で散り落ちて居ましたが 凛とした空気に包まれて居ました。千姫の菩提所にも参拝させて頂きました。