澄んだ空気と落ち着く神社。
和泉熊野神社の特徴
永福町駅から徒歩5分のアクセスの良さが魅力です。
熊野神社として独特な社殿と黒松が印象的です。
自然に囲まれた落ち着いた雰囲気の中で御参りできます。
境内社の説明書きが見あたりません。境内社への参道が荒れています。園児の声が騒々しくて神社にしては落ち着きに欠ける印象を受けました。
和歌山に勤務していた時に、熊野三山は何度か行きました。深山幽谷!素晴しい所でした。東京に熊野神社が多くあるのに驚いています。で、この熊野神社も、簡素な社殿が質実剛健さを感じさせ、閑静な雰囲気も素敵ですね。黒松が有名なようです。また、近くに伺ったら是非立ち寄ります。
京王井の頭線で急行待ち合わせがある永福町駅から歩いて5分前後で辿り着く熊野神社です。駅前の商店街の道の広さに比べると閑静な佇まいです。派手さはないですが、入り口の鳥居前に暗渠と思しき石橋があり、鳥居は三重に設けられています。石段に融合するように生えている木々の根元が、由緒の古さを思わせますが、その通り、元寇の頃に創建・修復を経て、高輪原の戦い[大永4年(1524年)]の頃にも大改修をしていたのですね。社殿は戦災に遭わず関東大震災にも崩れなかったようで何よりでした。徳川家光御手植えの松も立派なもので、樹齢370~400年ほどにも達するのには驚きました。マツは樹齢を長く保つことから「タモツ」から「モツ」、さらに「マツ」へと転化した説があるそうです。天然記念物のマツ以外にも大きな木が多く、夏場は訪れると木陰で癒されます。なお、祭神の天御中主命(アメミナカヌシノミコト)は、日本神話の天地開闢において登場する神で、古くは妙見社系の神仏習合によく祀られていたそうです。平将門を破った平良文は妙見菩薩の加護を得て将門の軍勢を打ち破ることが出来たため、秩父に妙見社を勧請し、これが秩父神社になります。秩父に土着した良文の子孫は秩父平氏となります。後年良文は下総国に居を移し、その子孫が千葉神社を創建しましたが、その祭神も妙見菩薩でした。和泉熊野神社も秩父平氏系の武士が創建したのかもしれませんね。[由緒]当社は旧泉村の鎮守で、祭神は天御中主命(アメミナカヌシノミコト)・イザナギノミコト・イザナミノミコトです。社伝によれば、文永4(1267)年に紀州(現在の和歌山県)熊野神社の分霊を祀ったのが当社の創建で、弘安7(1284)年に社殿を修復し、その後、北条氏綱が上杉朝興と戦い、、江戸城を攻略した際にも、大掛かりな改修を加えたと伝えられています。江戸時代には寛永16年(1639年)と元禄9年(1696年)の両年に社殿の改修を行ったことが、棟札によってわかります。現在の社殿は、文久3年(1863年)の造営で、明治4年(1871年)に修復が行なわれています。境内には徳川家光が鷹狩りの途中に休息した時に植えたと伝えられる松の大木もそびえています。
徳川ゆかりの立派な黒松があります。貴重な木です。あやかりに。
和泉熊野神社。御祭神は天御中主命、伊弉諾命、伊弉冉命。境内にある松の御神木は徳川家光が植えたと言われています。
天之御中主神様をお祀りする数少ない神社です。お札を求めた時も、巫女様の対応も親切丁寧に対応していただきました。
サイクリングの途中で、偶然見かけて寄りました。小高い斜面に、木立の中に鳥居と石段が見えます。ご挨拶しようと、登っていくと正面に社殿があります。柏手を打つと、とても大きなカラスが社殿から飛び出ていきました。威厳のある、神社です。次回はちゃんと時間を作ってお参りします。
熊野神社らしい社殿ですね。社殿は少し黒っぽくて拝殿の彫刻は見事です。本殿は見れませんが、彫刻がきれいなんでしょうね。
龍光寺のお隣りにある和泉熊野神社。龍光寺同様斜面に建てられているので杉並区にありながら、ちょっとした山寺感がある神社。鳥居が3つ並んでいるが全部違う造りも珍しい。社殿正面上には美しい龍の彫り物がある。また社殿横の御神木の黒松は樹齢350年だそうで近くに行ってよく見ると確かにその歴史のおもみを感じるどっしりとした幹が見られる。鳥居をくぐる階段はかなり歴史を感じる物なので足に自信がない方は鳥居横の斜面を通って下られることをお勧め。龍光寺と合わせてお参りされるといいと思います。
名前 |
和泉熊野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3328-6830 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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こんな事云ったら失礼かもしれませんが立派な神社でした。鳥居も趣きがあり、特に参番目の木で出来ているのは大好物です。竹の皮で包んだお握りを片手に階段上から拝みながら頬張れば言うことないです。こんなに寒いのに隣りの幼稚園の子供は元気げんきで原風景を見たおもいです。歩いた甲斐がありました。