大和田城、歴史の星を探せ!
大田和城跡の特徴
大和田城は現在老人ホームとして利用されています。
日本城郭大系によると、丘に“いちばん星”があるとされていますが…
城跡は何も残っておらず、どこが城だったのかわかりません。
日本城郭大系では“いちばん星”のある丘が城とされるが違うと思う。周囲に空堀も無ければ城としては小規模過ぎる。こちらは館跡で、背後の馬蹄形の山崎山~つつじの丘~いちばん星西側の山の一連の山々が大田和城と呼ばれた詰め城だと思う。明治時代の帝国陸軍測量による迅速測図を見ても他の山並みとは明らかに異なる人の手が入った曲輪群が見てとれる。ただし詰め城とは言っても山を部分的に堀切って山裾に空堀が有るだけの単純な物で、あくまで平安時代の尾根道と街道の往来を妨害する程度だと思う。日本城郭大系で大田和城の取材をした人間による恣意的な地域縮小紹介や地権者への忖度が疑わしい。日本城郭大系の解説には以下の城も似た様な工作が見られる・・・●鐙摺城葉山~逗子の鐙摺城は桜山に城らしき人口地形がふんだんにある。吾妻鏡では鐙摺城北西に旗立山が有ると記されているにも関わらず旗立山を鐙摺城と事実歪曲し紹介している。●住吉城逗子~鎌倉の住吉城は本来は光明寺裏まで城域で名越地区まで繋がる鎌倉城の一部だった。●青ヵ台城横浜市金沢区の青ヵ台城は宅地開発され地名を能見台に変えられた東側の山陵に豊富に曲輪地形が残っていた。・・・江戸時代の古文書と明治~昭和初期の学者の“作文”は疑ってかかるべき典型的な場所の一つだと思う。地元の山の持ち主に取材したがやはり「何も無いよ」と言っていたが、城の知識が無いからそう悪気無く言うのか、実際は知ってるけど言っているのかは不明。ただ普通の農家の優しそうなオッチャンだった。
城といってももう何もなくどこがどうだかわかりません。城ではなく一種の見張り館だと思われます。小高い山の麓に規模の小さな堀や郭などがあったのではないでしょうか?謂われの文献も無いようですし、見学の案内板も有りません。
| 名前 |
大田和城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.6 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
大和田城は現在老人ホームですね、駐車場は有りません。