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名前 |
備前國府大湯屋址(重源上人道跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
平重衡の南都焼討により壮麗な東大寺大仏殿も焼け落ちたこれを復興するため俊乗房重源が東大寺大勧進職に任ぜられ、再興の費用を賄う造営料国として周防国、次いで備前国が充てられ、周防からは木材、備前からは瓦が供給された(万富に東大寺瓦窯跡が残る)重源は国府の北に位置する浄土寺に拠点を置き、庶民施療のために「大湯屋」と呼ばれる湯治施設を設けた山門南外脇に残る湯口跡と見なされる井戸状の湧泉池からは、東大寺刻印瓦が出土しており、大湯屋はこの周辺に建てられていたと考えられる(県指定史跡)