旧自証院霊屋の味わい深い建物。
旧自証院霊屋の特徴
旧自証院霊屋は、徳川家光の側室お振の方を祀った霊廟です。
江戸東京たてもの園内に位置し、独自の歴史を感じられます。
建物は味わい深いデザインで、訪れる価値があります。
旧自証院霊屋。Jisho-in Mausoleum(Otama-ya).自証院の娘、千代姫(霊泉院)によって作られた霊廟。自証院はお振の方と呼ばれ、徳川家光の乳母である春日局の養女となり、大奥に老女として仕えた後に徳川家光の側室となった人物。新宿に自証院が現存するが、自証院墓は見当たらない。
旧自証院霊屋は江戸幕府三代将軍徳川家光の側室であったお振の方を祀った霊廟です。1652年に市ヶ谷の自証寺の中に建立され、禅宗様と和様の折衷様式で建設され、随所にごく菜食の木彫りや細かな金具が施された荘厳な建造物です。施主はお振の方の娘で、終わり二代藩主徳川光友の正室出会った千代姫です。建築には江戸時代の有力な大工で江戸城や日光東照宮に携わった幕府作事方棟梁甲良氏が関わっています。徳川将軍家を代表とした霊廟の多くは戦災により焼失してしまいましたが、旧自称院御霊屋は戦火を免れ、1960年に東京都指定有形文化財に指定されました。もともとは新宿区の富久町に立っていました。
旧自証院霊屋は、小金井公園内のテーマパーク・江戸東京たてもの園の中にある建物の一つです。元々は江戸幕府3代将軍徳川家光の側室・お振の方を祀るために建てられた霊廟だそうです。お振の方は石田三成の曾孫にあたります。何度か解体・移築されたようで、一時は赤坂プリンスホテルの敷地内に移築されていたこともあるとのこと。その後、江戸東京たてもの園の現在の場所で復元されています。たてもの園の中でも一際鮮やかで目立つ建物です。旧自証院霊屋の周りを囲むように通路があり、建物を正面だけでなく裏までぐるりと見られるようになっています。中には入れません。
三代将軍徳川家光の側室、お振の方の霊廟とのこと。小さいながら豪華絢爛。
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立(こんりゅう)した霊屋です。この建物は東京都の文化財指定を受けています。時々扉を開ける時があるらしいのでそれを狙って来園するのもいいかもしれません。
徳川家光の最初の側室・お振の方の霊屋。小規模ながら丹念に修復されたその姿は絢爛豪華。毎週日曜と休日には扉が開かれ内部が見られる。
旧自証院霊屋は3代将軍徳川家光の側室お振の方の霊廟れいびょうである。慶安5年(1652)、家光の長女千代姫が施主となってその生母お振の方の霊屋を自証院境内に建立した。 建物は禅宗様ぜんしゅうようと和様の折衷せっちゅう様式で、柱・組物・桟唐戸さんからとや須弥壇しゅみだんなどには禅宗様が蔀戸しとみどや高欄こうらんの擬宝珠ぎぼし、板張りの床などには和様の意匠が用いられている。 明治になると庇護者を失い荒廃してしたが、昭和32年西武鉄道によって霊屋は買収され、赤坂プリンスホテル内に移築されたが、平成7年、外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。江戸東京たてもの園に移築・復原された。
味わい深いデザインの綺麗な建物です。「ジブリ作品」に出てきそう。
Aunque esta un poco alejado del centro de Tokio, vale la pena llegar para conocer un poco sobre la arquitectura de Japón. Llevar medias antiresbalantes.
名前 |
旧自証院霊屋 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
https://www.city.koganei.lg.jp/smph/kankobunka/bunkazai/shiteibunkazai/siteibunkazai5.html |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

江戸東京たてもの園 下町夕涼み2022年8月7日(日) 18:54