二本松城で歴史散策、菊人形祭り。
福島県二本松市二本松城 箕輪門の特徴
駐車場が無料で利用でき、公園内は自由に散策できる場所です。
二本松城の復元エリアで菊人形祭りを楽しめる一大イベントがあります。
見事な石垣と立派な門構えがあり、歴史を感じることができるスポットです。
敷地が広いので、公園内には散策しながら二本松城の歴史を見れて良かったです!また、公園としてウォーキングもでき楽しめます!
日本100名城になっている二本松城。その城門で、立派な城門で石垣も立派で見どころありでした。城門前には二本松少年隊の像があり。箕輪門を見てそこから天守までは相当登りそうなので車で頂上まで移動して天守跡を見ました。
2023年8月15日に訪れました。二本松城の本丸に近い高地は、加藤氏治世下(寛永4〜20年1627〜1643年)で大規模改修され、現在のような立派な石垣が出来ました。箕輪門は、寛永20年1643年に二本松藩主となった丹羽光重が建造しました。
二本松城で復元されたエリア。一番見ごたえがある。駐車場からも歩いて1分。樹齢350年の赤松が多数みられる。本丸まで徒歩15分。丹羽光重が二本松の城主となって来た時、まず手をつけた大きな仕事は、城下町の都市計画と城郭の増改築であった。 その一つの工事として、城門の建設をしようとしたが、材料となる適当な樫の木を見つけることが出来ないで困り果ててしまった。その後、領下全域に八方手をつくした結果、ようようにして箕輪村山王寺の山に発見したのであったが、その木は御神木として、手を触れてはならないいわれのある木だった。 重臣の山本(本山の誤りか)という人が、 「御神木とは申せ、城の護りにはかえられません」 というので、其の意見を用いて伐採することとなった。 人夫がやってきて、伐りはじめたところが、しばらく伐っているうちに不思議や、その切り口のところから、焔が吹き出したので、驚いた人夫が、役人に報告した。 「かまわずに伐れ」 との命令だったので、人夫は、どんどんと仕事を進めていった。 今度は真っ赤な血のようなものが、切り口から流れ出して来たので、再度の不気味な現象に恐れをもった人夫が、 「とても私に出来る仕事ではありません」 と願ったところ、役人も納得して 「木の持ち主ならよいだろう、地主がかわってやれ」 との事であった。 命ぜられた地主は、恐る恐る斧をもって伐ったが、今度は、不可怪な事もおこらず。 遂に御神木を伐りおえることができた。 樫の木が製材されることになった時、また不思議にも御丈九寸程(30cm位)の金仏が、樫の木の中から出現した。驚いた役人が事の次第を光重公に言上したところ、光重公は 「御神木なら 山王の御神体であろう。祀ってやるようにせよ」 とのことで、宮下御殿の山に、雲堂和尚を開山とする堂宇を建立した。 毎年6月15日を祭礼の日と定め、この日には箕輪村の村民は赤飯をたき、それを持参して参詣し、特に、藩主からは御酒を下さるのが、例となったが、後には、隔年の参詣となり、もっと後には、箕輪村民の参詣は途絶えてしまった。
第66回菊人形と菊の展示会初めて観て来ました。又菊を出展される方に菊の育て方や盆栽について解説して頂き大変参考に成りましたし感動しました。コロナ禍の為3年ぶりの開催という事でかなり老若男女のお客様が観にきていました。少し早く来過ぎたせいか大輪の華が咲いていないのも有りましたので絶対近々観に行きます。
訪問したときに、菊祭りが開催中でした。二本松城は、大きく天守からの眺望は、なんとも言えないかんじです。
令和4年4月9日桜が咲いてるかなと訪問。まだ五分咲きでした。
日本百名城の一つ二本松城。駅から徒歩で20分ほどかかって到着。箕輪門は立派な佇まいで石垣もかなり迫力が有りました。幕末の戊辰戦争の舞台にもなった城跡です。
生憎菊花展は終わりになっていましたが紅葉が素晴らしく赤や黄色の色彩を愛でながら天守まで踏破しました。
| 名前 |
福島県二本松市二本松城 箕輪門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
駐車場無料、公園内は自由に入れる。山城なので、ちょっと登る覚悟必要。車でも本丸跡まで行けます。イベント時以外は周辺は静かです。追手門、かっこよ!です。