宮森城跡で歴史散策。
宮森城跡の特徴
粟ノ巣の変の舞台となった歴史的な宮森城跡です。
伊達輝宗公が滞在した由緒ある城跡に位置しています。
中世の遺構が残る壮麗な山の中にあります。
粟ノ巣の変の舞台となった城。伊達政宗の父、輝宗に和議の謝意を表すべく宮森城を訪れた畠山義継が翻意、輝宗を人質にとり二本松城へ移動中、粟ノ須にて追いついた伊達勢に襲撃され両者ともに討ち果たされることとなった。
たとりつくまで苦労しました。なかなかユニークな狛犬さんがいます。
伊達輝宗公が一時滞在していた宮森城の跡です。応永3(1396)年に築城された四本松(しおのまつ)城が文明3(1471)年に改修され、宮森城と改名しました。永禄12(1569)年に大内家の領地となるが天正13(1585)年に大内定綱が伊達政宗に敗れ伊達領にとなります。二本松城攻撃を計画していた伊達政宗が小浜城に入ったのに続いて、父の輝宗が宮森城に入りました。ところがその輝宗は宮森城を訪れた二本松城主・畠山義継に拉致されてしまい義継ともども粟ノ須で最期を遂げました(粟ノ須の変)本丸は神社として整備されていますが周囲に宮森城の礎石や石垣の跡と思われるものが残っていました。
伊達輝宗公が二本松城城主の畠山氏に拉致された現場、粟ノ巣の変の起点となる城です。駐車場こそありませんが、綺麗に整備されてあります。東北の戦国史について知りたい人は行ってみて損はないと思います。
2023年8月15日に散策しました。応永3年1396年に宇都宮氏広が奥州管領に任命され、この地に築城したのが四本松(しおのまつ)城です。文明3年1471年に大河内(おおこうち)修理が城を改修して、宮森城と城名を改めました。天正8年1580年に大内定綱が、この城に移り東安達(塩松)地方を治めました。しかし、天正13年1585年に侵攻してきた伊達政宗に追いやられ会津へ逃れました。その後、伊達政宗の父である伊達輝宗が、宮森城を居城としました。天正13年1585年、粟ノ巣(須)の変が起こり、伊達輝宗は、二本松城主であった畠山義継の巻き添えになり、落命しました。城跡には、矢取八幡神社が建っています。
山の中に、有ります。
遺跡コード 32500016遺跡名 宮森城跡よみがな みやもりじょうあと遺跡種別 城館跡主な時代 中世遺構概要 郭/堀切/礎石/帯郭。
| 名前 |
宮森城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
少し分かりにくい場所にあります。駐車場もないですがスペースはあります。今は神社になっています。周りに伝説が在るので回るのも楽しいです。道は狭いてますが。