秋晴れに心安らぐ、信玄公の菩提寺。
臨済宗 妙心寺派 乾徳山 恵林寺.の特徴
紅葉の美しい境内は、静けさが心を癒してくれます。
信玄公の菩提寺で、歴史を感じるお参りが楽しめます。
お土産店近くの駐車場を利用して、アクセスも便利です。
信玄公の菩提寺へ、秋晴れの日にお参り出来ました。山門をくぐれば立派なお庭、朱色の四脚門は重要文化財、綺麗に清められた境内とお堂は、是非一度お参り頂きたい、歴史好きの方々には尚更。ありがっ様です。
駐車場は南側、または、隣接している西側の道向かいのお土産店など停められないことはない。お寺内部を見られるエリア、宝物殿エリア、それぞれ入場チケットが大人一人500円。トイレは施設右奥、寺務所の所まで行けばある。ゆっくり見て回る場合は2時間は必要。敷地内右手におみやげ店、だんご屋、精進料理の食事処がある。変な営業や呼び込みとかはなく穏やかでやさしい対応。敷地内にねこがいる時がある。
塩山ふれあいの森自然公園の帰りに大切な人と寄りました。小さなお寺かと思ってたので入って見てビックリ。ここで信玄のお葬式をしたとは更にビックリ。とにかく大きなお寺で見所満載です。色んな武具とか飾ってあったり勉強になりました。また寄りたいと思います。
2024.8【拝観料】500円 ※境内見学は無料武田信玄、柳沢吉保の菩提寺として有名なお寺。戦国時代の織田氏による焼き討ちと、明治の火災による堂宇の大半を焼失しており、お寺の格の割には遺された寺宝や文化財は山門と太刀、短刀のみとなります。チケットを購入してお堂に入り、まずは本尊釈迦如来が安置されている本堂へ。そこを過ぎると音の鳴るうぐいす廊下があり、その先に武田信玄の姿を写したとされる『武田浮動』が安置されています。そこから戻るのですが、真っ暗闇の曲がりくねった廊下を通って行きます。いわゆる胎内くぐりを模しているものだと思います。廊下の先に小川があるのですが、視覚が無くなるのでその音が大きく感じられます。廊下を出た先に柳沢吉保墓所や霊廟、庭園があります。※武田信玄の墓所は毎月12日の月命日のみ特別公開されます【宗派】臨済宗妙心寺派【本尊】釈迦如来【由緒】鎌倉時代の元徳2年(1330年)に、甲斐国の守護職であった二階堂貞藤(道蘊)が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、五山派の夢窓疎石を招き開山。二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされる。もとは円覚寺派に属し、関東準十刹の寺格を有していた。恵林寺は甲斐における臨済宗の中心となり、古先印元、青山慈永、龍湫周沢や絶海中津らが勅命を奉じて輪番住持となる。後には足利義満により鎌倉禅林十刹に準ずる寺格を与えられた。応仁の乱で荒廃するが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興し、京都から高僧が招かれる。天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により武田氏は滅亡する。武田氏滅亡後、織田氏は恵林寺に逃げ込んだ佐々木次郎(六角義定)の引渡しを要請するが、寺側が拒否したため織田信忠の派遣した津田元嘉・長谷川与次・関成重・赤座永兼らによって恵林寺は焼き討ちにあった。この際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と、『碧巌録』第四十三則の偈を発して快川紹喜は火定したといわれる。1905年(明治38年)には火災に見舞われて壮大な堂宇の大半を焼失。その後再建され現在に至る。
| 名前 |
臨済宗 妙心寺派 乾徳山 恵林寺. |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0553-33-3011 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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紅葉の始まった境内は静けさと水の流れる清らかな音で心が落ち着く空間でした。11月上旬でまだ寒さもなかったのでとても良い訪問となりました。