浄光明寺の隣、大伴家の歴史を感じて。
大伴神主家墓所(鎌倉市指定史跡)の特徴
浄光明寺の阿弥陀堂隣に位置する特別な墓所です。
代々鶴岡八幡宮の神主を務めた大伴家の墓塔があります。
鎌倉市指定史跡として歴史的価値が高い場所です。
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名前 |
大伴神主家墓所(鎌倉市指定史跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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浄光明寺の阿弥陀堂の隣には、代々鶴岡八幡宮の神主を務めた大伴家の墓塔が並べられています。記録では第十代持時からの墓が営まれたことが知られ、現在確認されるだけでも第 十五代清道から二十三代清綱まで九基の神主墓と、その家族の墓塔があるそうです。墓塔は笏形碑、円頂形碑、舟形碑とさまざまで、とくに奥のやぐら内にある笏形の墓塔は、碑面に鳥居と笏が描かれ、他にはない神道特有の墓塔とのことです。浄光明寺は、鎌倉、室町時代には幕府の庇護を受けていましたが、江戸時代に入ると伽藍は荒廃、本堂さえ失われる状態になったそうです。そのような中、鶴岡八幡宮寺元喬僧都が、母の菩提を弔うために資金を提供し、寛文八年(一六六八)に仏殿が再建されたそうです。そんな経緯で鶴岡八幡宮の神主の墓が、こちらにあるのでしょうね。