北条義時公の法華堂跡。
史跡法華堂跡(北条義時墓)の特徴
鎌倉幕府2代執権の北条義時を祀った場所です。
大河ドラマで話題の歴史的な史跡です。
石段を上がると広場が現れ、静寂を楽しめます。
第二代執権であった北條義時公を祀った法華堂の跡です。源頼朝の墓所の東隣りの山の中腹にあり、今は法華堂があった場所を示す発掘跡があります。3D ARアプリで法華堂を再現して見ることができるようになっています。敷地内に三浦一族のやぐらもあり、石段を登ると大江広元の墓所があります。
大河ドラマで有名になった、鎌倉幕府2代執権北条義時の墓があったで在ろうとされる場所です。墓と言うと墓石を想像しますけど法華堂を建立して、そこに遺骨を納めた型式の墓だったので、法華堂が無くなってしまった現在、墓そのものが存在しません。写真で観てもわかるようにこの広場みたいな所に、北条義時の遺骨を納めた法華堂が建っていたと想像するしかありません。源頼朝、大江広元の墓が、墓石として存在してるだけにちょっとねぇ、まぁ、墓そのものが行方不明と言うより良いのかといった所ですかね。
史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)。(202211)【所要時間15分】※国指定史跡。墓石はない。法華堂跡の石碑と立て看板と空き地です。源頼朝の墓、北条政子・源実朝の墓大江広元・毛利季光・島津忠久の墓は建立されて居る。吾妻鏡の「頼朝法華堂の東の山をもって墳墓となす」とは法華堂のことでしょうが、法華堂廃絶後に北条義時の墓石が建立されてないのはナゼだろう。駐車場もトイレもありません。※客観的に普通の物が『最高』の評価にはなりませんので悪しからず。
石段を上がると、ちょっとした広場があり、ここが鎌倉幕府2代執権北条義時の法華堂跡とのことです。平場に白線で四角く描かれ、杭が打たれているだけで、案内板がなければ、何かの工事現場かと思ってしまうかもしれませんね。2005年の発掘調査で、この平場の地下から法華堂の遺構が発見され、現在は、保護のため埋め戻しを行い、草地として維持管理しているとのことです(遺構の様子は、案内板に写真が掲載されています)。工事現場とも思えた杭は、調査でみつかった法華堂の礎石や柱の跡を示したものでした。吾妻鏡には頼朝の墓の東の山上を墳墓のとし、そこに義時の法華堂を建てたと記されていることから、遺構は北条義時が祀られていた法華堂の跡であると推定されているそうです。鎌倉へ来ても神社やお寺以外、当時を偲ばせるものが少ないのですが、こちらでは、AR技術を使ってスマホから3DCGで復元した法華堂を無料で見ることもできます。建物の構造の説明や内部の如意輪観世音菩薩も見ることができます。まだ、ドラマでは義時が暗躍中?で、お墓を見ると違和感がありますね。ドラマが終わってからもう一度来てみれば、また違う感慨にひたるのかもしれません。
史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)とされいるが墓石はありません。法華堂跡の石碑と立て看板がありAR仮想現実でCGの法華堂が体感できます。階段を登った所には大江広元・毛利季光・島津忠久の墓があります。吾妻鏡に書かれた「頼朝法華堂の東の山をもって墳墓となす」を指す場所と思われます。
名前 |
史跡法華堂跡(北条義時墓) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

2024年3月29日に訪れました。第2代執権北条義時の墓所である法華堂の跡地です。北条義時は、貞応3年1224年に亡くなり、この地に葬られました。平定17年2005年の発掘調査で、その遺構が明らかにされました。