龍口寺で辿る日蓮の歴史。
龍ノ口刑場跡の特徴
龍口寺に位置する歴史的な刑場跡で、訪問者を魅了する場所です。
日蓮聖人の足跡を辿る旅に最適な名所で、歴史を感じられます。
北条時行の処刑地として知られ、深い歴史を秘めた場でもあります。
一度現地に行っつてみたいですね。大聖人様の末法の御本仏の姿を現された儀式の場所だから。
大聖人の史跡を辿る旅で行きました。鎌倉でも折伏行を行い、門下を折伏した結果、襲撃された地に思いを馳せました。きっとそこで助かったのも、十羅刹女と言われる女性が諸天善神となって守護されたのでしょう。
北条時行処刑の場所、日蓮和尚は、朝日🌅のまぶしさで、切れなかったが、北条時行には、神風はなかった無念(*_*)
江の島の龍口寺境内に石碑があり、元々は処刑場跡地に幕府からの処刑を免れた日蓮の「龍の口の法難」を祈念して1337年に一堂を建立したのが始まり。そこで処刑された(若しくは処刑されそうになった)中には元寇前に元帝国から遣わされた使者や、中先代の乱を引き起こした北条時行、直前で助命された日蓮聖人等が知られている。
こちらは2024年03月04日の訪問となります。鎌倉仏教の一つ・日蓮宗(法華宗)の宗祖である日蓮が処刑されそうになった場所……がここだとかこの近くだとか、という奴です。日蓮は布教するだけでなく他宗への批判や口撃を激しく行い、特に近場の他宗寺を燃やせだの僧の首を刎ねて由比ヶ浜に晒せだの言ってたので命を狙われたりも複数回あったそうですね。幕府にも『内乱や他国の侵略で日本は滅びる』とか言ったので拘束されて伊豆に流罪になったり(これは二年で許される)、その後も危篤の母の看病に向かったとこを数百人に襲われたりしたそうです。更には真言律宗の僧が幕府に祈雨の祈願を要請された際、『七日以内に雨が降れば俺がお前の弟子となるが、降らねばお前が法蓮華に帰依しろ』とか勝手に勝負を申し出(相手は受けず)、結局雨が降らなかったのですがその後このせいで色々揉めて処刑される事になります。以降は他の方も書かれてる通り、処刑寸前で光云々~とか、諸説はありますがともかく、佐渡に流罪になりこちらも三年程度で許されます。何だこの凄まじい人生……。
日蓮宗の開祖である日蓮聖人が、鎌倉での布教を理由に捕らえられて、処刑されるため護送されたされた場所が「龍ノ口の刑場」と伝わります。処刑されそうになった日蓮聖人ですが、この地で奇跡が起こったため処刑は果たされず、佐渡へ流罪されることとなりました。これを「竜口法難」と呼ぶそうです。また、この地にある龍口明神に「文覚上人」が法要を行ったところ、国に背く悪人が出たときは「悪人の首を斬り社頭にかかげよ」という神託があったとされ、以後、龍ノ口が処刑場となったそうです。実際の刑場の位置は所説あるようですが、源頼朝公の挙兵に対抗して石橋山の戦いでその軍を打ち破ったと云われる「大庭景親」が処刑され首を晒されたと伝わっています。また、元寇の折には、元の国使杜世忠ら5人を処刑した場所でもあり、逆に、中先代の乱を起こした北条高時の遺児「北条時行」が処刑された北条得宗家の滅亡の場所でもあります。こちらは、日蓮聖人とは異なり、実際に処刑された方々でもあり、奇跡が起きなった方々でもあります。立派なお寺の山門横、海の青さに溜息がでそうな海岸、江ノ電が走るレトロな街並みの一隅にそんな石碑があります。
名前 |
龍ノ口刑場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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龍口寺にある刑場跡。かの有名な日蓮聖人があわや処刑されそうになった際に江ノ島の方から強い光が差してきて中止になりその後島流に変更されたという場所です。今では逃げ若で超有名な北条時行もここで足利に捕まった後に処刑されています。今ではひっそりと碑が立つのみですがたくさんの人が無念の最後を遂げられた施設。鎮魂の祈りを捧げましょう。