葛原岡神社隣のお稲荷さま、心の拠り所。
合鎚稲荷社の特徴
平日でも賑わう刀鍛冶様たちの心の拠り所です。
葛原岡神社の隣に位置し、境内の雰囲気も素敵です。
鎌倉市により移築された歴史ある神社です。
葛原岡神社の隣にあるお稲荷さま。葛原岡にお参りの際にはこちらも忘れずにご挨拶を。ここからはちょっとマニアックな話。このお稲荷さんは実は凄いお稲荷さん。なんと、かの名刀正宗の生みの親、伝説の鍛治職人の五郎入道正宗に縁のあるお稲荷さんらしい‼️正確には正宗の子孫が代々刀鍛治をしていた屋敷があった場所が現在の鎌倉歴史文化交流館なのですが、そちらで祀られていたお稲荷さんが鎌倉歴史文化交流館が開館するためにこちらにお遷りいただいたとのこと。一説には正宗がいた時代からお屋敷で祀られていたお稲荷さんだったとも言われています。正宗がいい刀が打てるようこちらのお稲荷さんに祈願していたのかもしれません。歴史ファンならぜひともお詣りしておきたい神社です。ちなみに正宗の子孫は現在は別の場所で今も鍛治職人を続けているそうです。
葛原岡神社へお参りした際、境内にこちらの神社がありました。参道には、ずらっと赤いのぼりが立ち並び、奥には赤いお社をキツネ様が守っていました。お稲荷様なのでしょうか、特に由緒書きなどは見当たりませんでした。あとで、葛原岡神社の社務所で合鎚稲荷社の御朱印をお願いした際、頂いた由緒書きには、以下のようなことが書かれていました。(ちなみに、合鎚は「あいづち」と読みます)合鎚稲荷について平成二十五年、諸事情により葛原岡神社へと移築されました合鎚とは刀鍛冶の神様です元々鎮座していた場所の詳しい経緯は不明ですが鎌倉時代の刀工正宗の後裔にあたる網広が住んでいた事からではないかと推測されています御例祭日 四月六日御神德 五穀豊穣、夫婦円満、商売繁昌、家運隆昌、技能上達ようこそ、お参り下さいました。
この「あいづち」稲荷社は近年、鎌倉市によりそれまで無量寺ケ谷の「鎌倉歴史文化交流館」の敷地内に祀られていたものが、移築されました。合槌稲荷社と無量寺ケ谷の成り立ちは非常に複雑で順を追って説明する事が必要です。現在「鎌倉歴史文化交流館」の建つ無量寺ケ谷はその名の通り「無量寺」と言う大寺院が元々ありました。やがて無量寺は廃寺となり時代が下り江戸時代には、相州伝の刀鍛冶正宗の後裔「綱廣」が屋敷を構え、その敷地内に「刃稲荷」を祀ったのが「合槌稲荷社」の始まりです。さらに時代は下って大正になると、三菱財団の岩崎氏が別荘を建て、同時に「合槌稲荷社」と名前を変え祀られる事になります。平成になり同土地を「センチュリー文化財団」が入手すると、老朽化した社殿などを復興しました。それが今の社殿になります。そして「センチュリー文化財団」から鎌倉市に土地建物が譲渡されると「鎌倉歴史文化交流館」がオープンし「合槌稲荷社」はココ葛が原岡神社境内に移される事となりました。
名前 |
合鎚稲荷社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0467-45-9002 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

平日なのにお客様が多かったですね刀鍛冶様たちの心の拠り所ですね!