大野極楽寺公園で『たぬき』と遭遇!
八幡神社の特徴
大野極楽寺公園で見かけた、跳ねるたぬきに癒される体験が得られます。
にらめっこ合戦を楽しめる場所が近くにあり、子供たちにも人気です。
自然豊かな環境で、リフレッシュできるひとときを提供しています。
名前 |
八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=0ceb1aff-1dfe-40f6-8867-3b63e2f1f619 |
評価 |
4.3 |
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突然、『たぬき』とのにらめっこ合戦合戦場は、大野極楽寺公園堤防お囲い堤を走っている最中、堤防下で跳ねる物体が.....『たぬき』でした。じっとこちらを見ています。双方、にらみ合い.......。結局、こちらが根負けして退散。『たぬき』とのにらめっこ合戦は、負け戦に終わりました。合戦場は、神社境内の裏の林。〒491-0144 愛知県一宮市浅井町極楽寺郷内322にあります、八幡神社の茂みでした。祀神は、品陀和気命(応神天皇):文武の神です。ご利益は・国家鎮護・殖産産業・家運隆昌・成功勝利・教育・交通安全・悪病災難除け・子孫繁栄となります。お囲い堤に面した場所に鎮座します。お囲い堤は、天正14年旧暦6月24日(1586年8月9日)の木曽川の大洪水によって大きなの洪水で被害を受け豊臣秀吉が文禄2年(1592年)11月末から12月初旬まで自ら尾張に滞在し振興策の遂行を指導。翌文禄3年正月より、築堤が開始されます。一旦、関ヶ原の戦いで工事は停滞しますが、尾張国清洲城に徳川家康の九男、徳川義直(尾張藩初代藩主)が入城。慶長13年(1608年)、御囲堤の築堤が始まり、翌年完成しました。そして、堤防の向こう側には、大野極楽寺公園があります。ここは、築堤当時、『大野城』があり、慶長五年(1600年)関ヶ原の前哨戦『河田木曽川渡河の戦い』が起きた場所でもあります。東軍[徳川方]1万8千人池田輝政、浅野幸長、山内一豊の連合軍、美濃国羽栗郡河田島村(現・各務原市川島河田町)まで進軍し木曽川を目前としていました。この時の指揮官は、黒田城城主を務めた一柳直盛でした。これに対し、西軍[豊臣方]は総勢9千人岐阜城城主、織田秀信は、百々綱家、飯沼長資らを羽栗郡米野村(現・笠松町)に配置しました。この時の、織田秀信の作戦は、一旦敵軍を引き寄せ、米野村で撃破し、さらに羽栗郡中屋村、各務郡新加納村(現・各務原市)、厚見郡川手村(現・岐阜市)で残党を撃破するという目論見でした。1600年8月22日明方池田輝政率いる東軍が木曽川渡河を決行。西軍は鉄砲隊を中心に撃破を試みます。東軍は木曽川の中洲の小屋場島(現・各務原市)まで進軍することに成功、陣を張ります。勢いづく東軍は、対岸の米野村に進軍を開始するのでした。同日昼、両軍は米野村で激突する。(米野の戦いへとつづく)結局私のにらめっこ合戦も、『たぬき』には勝てませんでした。