平安時代の薬師如来に出会う。
岩野薬師の特徴
大光寺の隣に位置し、宗教的な重要性を持つお寺です。
平安時代末期の薬師如来像を奉納し、貴重な歴史を感じられます。
聖武天皇時代に活動した名僧行基が刻んだ薬師像があります。
直江地区のウォーキング中に、万病に効験ありとの縁起を見てお参りさせていただきました。出雲三大薬師のひとつとのことです。
上直江八幡宮に参拝した際に気になって寄らせて頂きました。大きくは有りませんが綺麗にされており合わせて参拝しても・・・
岩野薬師縁起(由来)、、、要旨岩野薬師堂に祭られいる薬師如来は、寺伝えによりますと聖武天皇(8世紀)時代の大仏、東大寺の創建に携われた四聖の一人、名僧「行基」がこの地方に来訪し刻された七仏薬師の一体と伝えられています。この薬師如来は直江の穴前の洞にありましたが、弘仁年中(9世紀初め)近くに住む岩野某の娘が、両親の菩提を弔うために自分の持ち山へ移し供養していました。ある夜、夢のお告げによって北山の篠崎某という男と夫婦になり、二人してお堂を建立し薬師如来を祀り、以来この薬師は妻薬師と呼ばれ広く信仰されるようになりました。江戸時代の宝永3年(1706年)岩野山の上に四間四面のお堂を建立し、薬師如来をここに移してからは、出雲(しゅっとう)郡内(現斐川町)一円の信仰を得るようになり、さらに明治4年(1767年)薫隨和尚は常念仏堂を建立して、郡民の平安を祈年されました。こうして、薬師堂の会式(えしき)は、郡中の催しとして毎年盛大に行われ、また常念仏堂でも3年ごとに千日大回向(えこう)が営まれており、大いに賑わっています。祭典の運営は、戦前の旧村時代から各村持ち回りで行い、その後奉賛会で地区順に総代が担当され、町中一円の伝統の歳祀として現在に至っている長い歴史をもっております。昔、近くに住む遠藤与市という相撲好きの男が「百人力を授けたまえ」と、岩野薬師に七日七日の願を掛け石段がへこむほどの大力を得、当地方第一の相撲取りの名をあげたことに因んで、境内では毎年奉納相撲が行われ賑わっていますし、与市があげた願ほどきの絵馬が今でも薬師堂に残っております。岩野薬師は、一畑薬師、平田薬師とともに出雲の三代薬師と呼ばれ、昔から、目、耳、口、手足の病気はもとより、万病に霊験あらたかであると言われております。
御本尊の伝薬師如来様は出雲には珍しい平安時代末期の作だそうです。
| 名前 |
岩野薬師 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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大光寺の隣にあります。書置きの御朱印があります。境内に可愛らしい猫ちゃんがいました。🐱