聖地で味わう寒ざらしそばのひととき。
遠藤ヶ滝不動尊の特徴
遠藤ヶ滝不動尊はアクセス道路が狭く、駐車場から険しい登り道を体験できます。
女人堂碑は女性の立ち入りが禁じられている、特異な修行の場です。
遠藤ヶ滝は水量が少なくても十分な迫力があり、見応えがあります。
お堂で合掌してから山へ入りました。前日からの雨で水量多め。『この滝は昔、文覚上人(遠藤盛遠)が深山霊谷で滝に打たれ荒行を修めた場所といわれている。 遠藤ヶ滝不動尊は山岳修行道場となり多くの修験者が訪れた。 滝への途中には女人堂碑が建てられており、昔はその先に女性が足を踏み入れる事は禁じられていた。』大玉村HPより『毎年5月4~6日の3日間春季例大祭が行われ、安達太良太鼓が奉納されます。毎年9月第3土曜から3日間秋季例大祭が行われる。大護摩祈祷、火渡りの行が行われます。』2019年情報○遠藤ヶ滝と文覚上人伝説『安達太良山の裾野の大玉村を流れる杉田川の上 流に遠藤ヶ滝という約3メートルの滝がある。別 名不動滝ともいわれ、岩の上に不動明王が祀られ 近くに不動堂があり、この滝は古くから不動信仰 の対象であった。不動尊は修験道の行者たちの本 尊であり、修験道の僧であった文覚は各地で修行 をし、那智の滝で厳冬に21日の水行をしたという。 遠藤ヶ滝には文覚上人伝説がある。 『安達郡案内』(明治43年)には、「昔文覚上人 東国下向の折、杉田川を渡らんとせしとき水上に 梵字の浮びしを見て、水源に不動明王のおはする ならんとて深く渓谷を分け入り、遂にこの滝を尋 ね得て荒行を修すと。滝は蓋し上人の俗姓に因めるものならんといふ。」とある。文覚上人は俗名が遠藤盛遠といい、平安末期か ら鎌倉初期の僧で、もとは武士であったが出家し て僧になった。出家の理由は恋にかかわるという 説もある。 文覚上人は、承安3年(1173)神護寺の再興を 志して、後白河院に強訴したことから伊豆に流さ れ、伊豆で源頼朝と親交を深めたのちに平家追討 に貢献したとされ、平家滅亡後に源頼朝と後白河 院の庇護を受け、神護寺・東寺・西寺・高野大塔 の修復に尽力した。しかし後白河院の崩御や、頼 朝も没すると後鳥羽院に疎まれ、佐渡そして対馬 へ流罪となった。 文覚上人の修行場ゆかりの伝承地は、各地にみ られ、弘法大師の由来伝説が各地にあることに類 似しているといわれる。 遠藤ヶ滝は修験者の修行の場となっていたと考 えられる。』信達の歴史シリーズより。
遠藤ヶ滝不動尊の大護摩祈祷、火渡り 行ってきた!今回は涼しく雨も降らなかったので良かった~
良。駐車場から森の中の道を5~6分程歩くと急に真っ直ぐに伸びた参道とその先にある石段のある光景を目にしますが、回りに人っ子一人もいない晩秋の夕方に訪れた事もあり、何か畏怖に近い気持ちにさせられます。ところが階段を上ると境内はキレイに保たれているし、横の赤不動様が何ともユーモラスなのでちょっとホットします。
ここの駐車場に来るまでの道路が結構細く、対向車が来ないことを祈りながら向かいました。木々がトンネルのように生い茂っでいるところがあるので、大きい車だともしかしたらキズが付くかも知れないです。天気が不安定な日だったので、日曜の昼間でも誰も居ませんでした。駐車場には、車上荒らし注意のポスターが貼ってありました。橋の所には、最近遊歩道で熊が目撃されたので注意!のポスターが貼ってあり、散策するのには音の出るものと勇気が要ります。圏外ではないですが、Softbank系の電波は弱めなので注意です。ほかの電波はわかりません。蚊もいます。遊歩道を歩くのは気持ちがいいです。歩きやすくて、川の音も心地よく、苔が多く、ちょっと屋久島っぽく見えるところもあります。危機管理をしっかりして向かうならとても良いところで、また行きたいです。
滝までの道のりは、手で岩をつかんで登るくらいの険しさです。1人で行ったのですが、他に観光客などはいませんでした。道中洞窟があり、その中にはお墓のようなものがあって、めちゃめちゃ怖いです。また、大きめの滝のところにもガッツリ墓石的なのがあってなんだか寒気がして引き返しました。景色は綺麗なのですがお寺×山道は意外と不気味なので、多人数で行くことをおすすめします。
駐車場から歩いて5分ほどです。散策道程度でキツい山道ではありません。たまたま滝行の団体が居られて本堂がご開帳。堂内にで御法楽させて頂きました。
水が少ないため石がゴロゴロとむき出しで景観がいまいちです。
女人堂碑 女性は男の煩悩を乱し、修行を妨げる魔と見られ、修行の場に女性が立ち入る事を禁じた碑。後世になって、厳しい山岳修行から女性を保護するためとする説もある。遠藤盛遠伝説 はるか昔、承安(1170年代前半)頃の物語。 遠藤時遠の息子に盛遠という若武者がおった。盛遠には源渡(みなもとのわたる)という親友がおり、源渡の妻は袈裟御前(けさごぜん)と呼ばれた絶世の美女であった。盛遠は渡の家を度々訪れるうちに袈裟御前をいとおしく思うようになった。ついにその想いを袈裟御前に打ち明けるが、袈裟御前は我が夫を思い、一人悩む。そして、袈裟御前は自分さえいなければという考えに陥っていき、一方の盛遠は渡さえいなければと思うようになっていった。 ある時、袈裟御前は訪ねてきた盛遠に「夫は今夜酒に酔って高殿で寝ている。」と語りかけた。それを聞いた盛遠は自分の想いが通じたと思い込み、夜陰に紛れて寝所に忍び込み一刀の下に首を斬り落とした。ところが、よくみるとその首は夫の身代わりとなって寝ていた袈裟御前のものであった。悲しみのあまり盛遠は俗世を捨て仏門に入り、修行の道に救いを求めた。 名を文覚と改め熊権現に誓い、那智滝で千日間の荒行を修め、山伏となって全国の霊地を巡歴した。盛遠はやがて陸奥にやってきて、杉田川を渡ろうとした時川面にカーン・マーンの梵字が浮かんだのを見て、上流に不動明王のおわす事を悟り深く渓谷に分け入りついにこの滝を見つけ、傍らの石室に篭(こも)りながら荒行を修めたところである。以来この滝は遠藤ヶ滝と呼ばれるようになった。
心が、休まる場所です。景色も良く、遊歩道も有り、一度は、行って観たらと、お勧めしたい場所です。
名前 |
遠藤ヶ滝不動尊 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0243-24-8096 |
住所 |
|
HP |
https://www.vill.otama.fukushima.jp/kankou_shiseki/spot/shizen/endougataki/ |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

聖地での、寒ざらしそばの話を聞きましたよ。いつの日か食べる日が待ちどうしい。