江戸の足跡石、歴史に触れる旅。
八幡神社 鳥居の特徴
江戸時代の歴史が感じられる足跡石がある神社です。
八幡神社の鳥居は独特の美しさがあります。
鳥居周辺の風景がとても美麗で心を癒やします。
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| 名前 |
八幡神社 鳥居 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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江戸に書かれた書には、足跡石があったとある。10間ほど離れた場所にある、と書かれているが、今は残っているのだろうか。近くに遺蹟の場所もある事なので、遺蹟に関するものなのかもしれない。足跡石は歴史の事実として、神事的な事柄が結び付けられて語られる場合が多いが、祭りや供養の場として使用されることが多いと思われる。社宝にある 石 は、神社始まりの時の御神体 なのかもしれない、とおもう。____________________❶【参考 新編相模風土記稿 1830年】若宮八幡宮 (江戸の頃のこの神社の紹介文となる)大竹村の鎮守である。[足跡石]社地より18m餘(10間餘)へだててある。里俗(りぞく) “八幡御足跡石“ と言われている。石面に足跡のごときものがある、とある[神体と本地仏]神体2体。2体共に束帯の馬上の像である。その一つは弘法作、28㎝餘(9寸5分)を安置する。本地仏正観音 鉄像長さ5㎝(1寸8分)是も弘法作という。※別当であった光明院に安置されている 十一面観音は 若宮八幡宮の本地仏であったという。(行基作)[社宝の石]石2顆は社寶である。1は径9㎝餘(3寸)如意の文字が書いてある。1は径12㎝餘(4寸)[神社設備]幣殿、拝殿、神楽殿がある。△鐘楼 銘文はないが、古鐘にて昔は軍陣に使われた物といわれる 高 82㎝餘(2尺7寸) 径57㎝餘(1尺9寸)△末社 金比羅 稲荷 天王 天満宮社地丘上にして老松陰を交え、最も景色の良い場所である。例祭日9月19日 此の日、境外の馬場にて近村の民が乗馬する。[鎮座地] 大竹村[例祭日] 9月19日[別当] 光明院____________________________________________神奈川県神社誌には細かな神社の情報を得ることはできる。❷【参考 神奈川県神社誌 1981年】八幡神社 (1981年の書の書かれた神社の紹介文となる)寛文年間(1661年~1673年)の創立である。享保20年(1735年) 本殿新築する寛保2年(1742年) 拝殿、幣殿造営する明治6年(1873年) 神饌幣帛料供進神社に指定される[鎮座地] 伊勢原市東大竹1194[祭神] 誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)[境内神社] 琴平神社(大地主命) 八雲神社[例祭日] 4月4日[境内地面積] 1,269坪。