出雲大社近くの阿国のお墓参り。
出雲阿国墓所の特徴
出雲大社から稲佐の浜に向かう途中にある墓所です。
歌舞伎の創始者、出雲阿国の墓を訪れる場所です。
駐車場完備でアクセスが良い、訪れやすい立地です。
出雲阿国のお墓がこんな所にあるとは!気を付けないと通り過ぎてしまうので注意が必要ですね!あと階段を登ってお墓があるので昇り降りも注意を!
出雲大社から稲佐の浜へ向かう途中にあります社会の教科書に載っていたなーと立ち寄りました駐車場もあります道の向かい側にガマの穂もありました。
稲佐の浜まで徒歩で向かう途中に立ち寄りました。出雲阿国といえば一度は聞いた事がある名前ではあるとは思いますが、その方のお墓がここにはあります。ですが、気にして歩いていなければ通り過ぎてしまいそうになるほど入り口はシンプルな佇まいでした。お墓は階段を上ったところにありましたが大きくて立派でしたよ。皆を魅了してやまなかった、そんな踊りとはどんなものであったのか一度見てみたいものです。彼女の晩年のことはフワッとしていてよく分かりませんが立派なお墓がこの時代まで大事にそれも綺麗に残されているのを見るに周りに慕われ尊ばれた人生だったのではないかと思いました。
出雲大社に来たしな近くにある歌舞伎の創始出雲阿国の墓参りに伺いました。出雲大社の巫女でありながら類い稀なる芸の才を纏い天下人豊臣秀吉公や徳川家康公の御前にて舞を披露したとか。その姿は当時で言うところの歌舞伎者の風体で、大衆を大いに魅了したとか。凄いな~✨歌舞伎は全てがここから始まりここが起源であり元祖なんだと😃✨
初めて出雲阿国の墓所訪れました。芸能の祖と言うことでその業界の方が訪れているようです。
女歌舞伎の創始者である出雲の阿国のお墓は出雲大社の近くにあります。出雲の阿国は、この近辺に住んでいた鍛冶職人・中村三右衛門の娘でした。大人になり出雲大社の巫女となり、出雲大社の修繕費用の寄付を集めるために全国各地を巡り踊りを披露していました。それが京都で評判となり、豊臣秀吉に呼ばれ伏見城で何度も踊りを披露しています。その後、京都での人気が衰退すると江戸で人気が上がるようになり全国に広まっていきました。その後、女性がかぶく事に風紀が乱れることを恐れた江戸幕府が、女性が歌舞伎を演じることを禁じていきます。出雲の阿国は、1607年に江戸城で歌舞伎を上演した後に消息が途絶えます。出雲に戻り、尼になったとい言われています。生家の中村家のお墓の横に阿国のお墓があります。
名前 |
出雲阿国墓所 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

安土桃山時代から江戸初期にかけて、ややこ踊りを元に歌舞伎踊りを創始した人、今も歌舞伎人や歌舞伎ファンのお参りが有る様です。*墓所への上り階段横に駐車場有り。