横浜の歴史、道標を辿ろう。
福泉寺の特徴
廃寺となったにもかかわらず、歴史的な価値を残すお寺である。
横浜市教育委員会報告書に記載された道標の存在に興味をそそられる。
福泉寺周辺の散策が歴史探索として楽しめるスポットである。
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名前 |
福泉寺 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
045-981-2635 |
住所 |
|
評価 |
5.0 |
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既に廃寺となっているようだが、横浜市教育委員会報告書によると、山門口に道標があったようだが、全く気づかなかった。左面には宝永四丁(確かに宝永4は丁亥の1707年)正面には上矢部是よ里二右面には為二世安楽也とあるらしい。改めて訪れてみたら確かにある。元はもう少し長い石碑だったようだが、折れてしまったのか、それとも単に地中に埋まっているだけなのか、確認できない文字もあるようだ。左面は壁との隙間があまりに狭いため、確認しづらいのだが、横浜市教育委員会資料の言う元号ではないことだけは確かだ。なぜなら寶永三丙 (1706年)とあるからだ。丙 のあとには さらに、戌 が続いているのかもしれない。そして、正面にある是よ里二が気になって仕方がない。これまでこの道標は全く見ていなかったが、実は階段上に折れた石があるのだ。もしかしたら、階段下の道標の、下の部分なのかもしれない。正面には乞うそうへのミちとあるようだ。二つが上下なのだとすれば、これよ里二…とうそうへのミち?となるが、果たしてどういう意味なのだろうか。右面には月吉日 願主 寺田氏とある。改めて訪問してみで考えた。先に述べたように、入口にある碑は土中(コンクリート)に埋まっており、横浜市教育委員会は、是より二と解釈しているが、階段上にある碑にはその続き、若しくは是よりの下の部分を刻んだと思われる乞うそうへのミちとある。この2つの碑が元々は繋がっていた可能性を想像したが、石のサイズが異なること、そして同じ字だろうと思われる彫りのあることから、どうやらそれはありえないようだ。ただ、どちらの碑も同じ字を彫り込んだように感じられる。そして階段上にあるのは、弘法大師の像だ。そこでこう考えてみた。この碑はよくある道標などではなく、「この先の階段を上がると、弘法大師という高僧〜乞うそう〜がいらっしゃいますよ」という看板の役目を果たすものなのではなかろうか?それこそ是よ里乞うそうへのミち。