岡崎城跡で感じる往時の勇将。
岡崎城跡の特徴
鎌倉時代の名城、岡崎城跡の歴史を感じる空間です。
勇将岡崎四郎義実が築いた、見応えのある曲輪の遺構があります。
伊勢氏の相模侵攻の一環としての城跡で、石垣の雰囲気が楽しめます。
岡崎城は伊勢氏の相模侵攻の一つの城です。三浦方の正木時義が籠城しますが正木氏は伊勢氏と仲が良かったので、即刻開城します。正木氏は誼のある安房へ行き後の安房里見氏を多いに発展させる人物になります。その後岡崎城は、伊勢氏のものとなり、三浦氏討伐後は、伊勢氏が城持ちとなりました。
三浦道寸が北条早雲の攻撃に17年耐えたという城は現在無量寺境内となり荒れ放題です。しかし周囲を一回りしてみるとその大きさに驚きます。
城址といってもお寺があるだけ。境内に古い墓石を集めた無縁仏の供養塔があるので古いお寺らしいことは分かる。見晴らしがいいので、城を築いたんだろうと思う。
本堂の脇や裏側に見える曲輪や空堀の痕跡に往時がうかがえます。
現在はお寺さんで、裏手側に回ると、曲輪跡を見られます。丘なので、平塚市街までみえます。
寺院と墓地になってしまっているが、石垣に城の雰囲気は感じられます。
遺構は、わかりにくいですが。土塁など、残っています(✪▽✪)曲輪はお家や、田んぼ、畑になってます!!
城主、三浦道寸(どうすん)。北条早雲が攻める。
舌状台地上の曲輪の遺構は、見応えがあります。
名前 |
岡崎城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.isehara.kanagawa.jp/kankou_guide/docs/2014101000119/ |
評価 |
3.4 |
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鎌倉時代の岡崎四郎義実の居城は岡崎神社を中心とした範囲が館跡でした。戦国以降に無量寺となったようです。無量寺近くに四郎義実のお墓が有ります。土塁や堀跡も少なからず残ってます。