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名前 |
天乳池 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
天乳池の造営は天明6年(1786)。旧国道248号線から南一帯は、広い原野と森が広がり、自然の川はなく、昭和の初めまで開墾地といっていた。そのため、田んぼをつくるにはため池が必要だった。ため池がつくられた天明年間は異常気象で飢饉が頻発した。特に天明5、6年は賀茂郡は大飢饉で、しかも木曽川の大洪水で太田宿の半分が浸水したという記録があり、食べるものもなく、死ぬ人もでた。食糧を確保し、これからも起きる天災に備えるために、水田開発のため、ため池をつくった。昔の人は、天は神様のおられるところで、厳しい災害も恵みも両方とも天から降ってくると考えていた。こどもを育ててくれるお母さんの乳が天から降ってくるような恵みの池であるように「天乳池」と名付けられた。