東海道の歴史伝える一里塚。
風祭一里塚の特徴
慶長9年に徳川家康が命じた歴史的な一里塚です。
旧東海道沿いに位置し、江戸から21番目の一里塚です。
西の道祖神と呼ばれる石祠が見学できる場所です。
旧東海道、江戸から四十一里(84k)
一里塚。お地蔵様とともに看板があります。
この道は旧東海道ですね江戸から21番目の一里塚があった処らしい♪道祖神 1基♪石祠 1基♪他 数基 2018/04/01「小田原市の道祖神」の一覧表にによれば石祠も石祠型の道祖神だそうです「西の道祖神」と呼称されています♪単身僧形座像 1基♪石祠型 1基 2020/02/29
名前 |
風祭一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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慶長9年に江戸幕府徳川家康は息子秀忠に命じて東海道、東山道、北陸道に、江戸日本橋を起点として一里 (36町・約4キロ)ごとに塚を造らせたそうです。塚は男塚、女塚と、街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9メートル)四方 だったそうです。塚には榎を植え、旅人の1里ごとの目印とするとともに夏季における木陰の休憩場所としたみたいです。 風祭の一里塚については天保年中の相模国風土記稿に「東海道側に双コウあり、高各一丈、塚上に榎樹あり、囲各八九尺、東方 小田原宿、西方湯本茶屋の里コウに続けり」とあるそうです(ΦωΦ)