小田原城の正規登城ルート。
馬出門の特徴
小田原城の馬出門は正規見学ルートの起点です、歴史を感じながらの散策に最適です。
徳川政権の時代に復元された美しい門は、重要な大手門として存在感を放っています。
さらには偶然やぐらの開放日に遭遇し、貴重な建物の内部も見ることができました。
小田原城二の丸の正面に位置する門です。内側にある内冠木門(うちかぶきもん)と、正面出入り口の馬出門から、銅門、そして常盤木門へと進むのが正式な小田原城への登城ルートです。しかし私は真逆のルートで進みました。この馬出門は2009年に復元されました。
令和5年8月12日(土) に行って来ました。馬出門の背後に天守閣も見え、小田原城の入城を実感しました。【馬出門】馬出門は、三の丸から二の丸に向かう大手筋上に設けられた重要な門で、枡形の内側に位置する内冠木門と同様、控え柱にそれぞれ屋根がつく「高麗門形式」の門であったと考えられています。発掘調査によって、明治 34 年 (1901) に設置された皇族の御用邸時代の石垣や江戸時代の石垣、門の礎石などが確認されました。これらの成果や絵図をもとに、平成 21 年 (2009) に高さ約 6.3m、幅約 4.7m の規模を持つ馬出門が復元されました。復元は、柱や扉は欅、屋根の下地は椹 (さわら)、土塀の控え柱には栗を用いました。御用邸時代の門は、馬出門土橋から直進して門をくぐることができるように向かって左側に位置をずらすとともに、石垣を高く積み直しており、写真で当時の様子を知ることができます。
小田原城の本丸に向かう正式な順路は、この馬出門から登城するそうです。馬出門→馬屋曲輪→住吉橋→銅門→二の丸→常盤木坂→常盤木橋→常盤木門→本丸が正しい道順で、その最初の門として相応しい門構えです。平成21年に復元された比較的な新しい門ですが、小田原城の風景に溶け込んでいます。
小田原城の「正規見学ルート」はここが起点となりますが 自分は「報徳二宮神社」を参拝した後 お城に入りましたので ほぼ逆コースを辿ってしまいました。
ここから小田原城へ向かうルートが好きです。確か正規ルートだったと思う。馬出門→住吉橋→銅門→銅門広場→常盤木坂→常盤木橋→常盤木門→小田原城→こども遊園地→報徳二宮神社このルートがお気に入りです♪逆もアリ。
小田原城の 馬出門 が正規ルートのようです。鎌倉時代の執権北条氏と、小田原北条氏は違う一族なんだとか。三つ鱗の家紋は、小田原北条氏が執権北条氏の知名度を利用するために使っていたようです。
2020年12月31日に訪問。かなり久方ぶりにやってきたが、馬出門が復元されていた。駅から来たがせっかくなので駅に近い学橋(旧・城内小学校の橋)ではなく、歴史上の正式ルートである馬出門から入城した。ところでお堀も含めユリカモメがたくさんいて、門を通過したら土塀の上から睨まれてた。
昔の人は凄いね✨ミーシャです。
小田原城の玄関口というべき門であり、平成21年に満を持して復元された徳川政権下の江戸時代の門。馬出門、内冠木門の二つの門を配した構造となっており、門の間は内枡形の防御施設が復元されている。常盤木門や銅門と違って櫓施設は付設されておらず、単純な門としての構造となっている。小田原城に登城する際は、是非この馬出門からの正規ルートを通って江戸時代の気分で散策するべきである。小田原駅から来ると正規ルートで登城することができる。
| 名前 |
馬出門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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馬出門は、小田原城の大手筋に位置し、二の丸を守る重要な門です。江戸時代の初期からこの場所に存在し、江戸時代の終わりまで存続しました。明治時代になって廃城となりましたが、137年の時を超えて小田原城の正規登城ルートが復元されました。