伊太祁曽神社で心休まるひととき。
紀伊神社(木の宮さん)の特徴
早川駅から鳥居までは徒歩10分の便利な立地です。
本殿へ続く長い階段を登ると絶景が広がります。
和歌山の伊太祁曽神社の御祭神を祀る歴史ある神社です。
此処は石の鳥居を潜りJRのガードを抜けて山側に神殿が観られました。
立派な神社です。JRの下に参道があります(ФωФ)
キノミヤ信仰と思われる神社、和歌山の伊太祁曽神社の御祭神である五十猛命を祀る神社を巡ってみました。まだまだ伊豆半島には来宮神社が多く、とても奥の深そうな世界です。・海から寄り来る神というのは、どういう意味なのか、よくわかりませんが、紀州の人が黒潮に乗って移り住んだことを示すものかもしれません。・駅から海と並行するいかにも古い漁村であったろう町並みを歩くと山側に鳥居があった。その鳥居の先、参道の上を東海道線が通過している。・階段を登るとその途中に梵鐘があり、由緒の書かれた掲示板もあったので、そちらを転記します。「早川の氏神様で、往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。木地挽(轆轤師)の開発者といわれる惟喬親王は、天安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが途中嵐にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであると言う。なお紀伊神社の社宝である「木地椀」は小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。」・社名からすると五十猛命が祀られているのは納得です。・もう一柱の御祭神である惟喬親王について、当社の由緒と関連すると思われる情報をまとめると次の通りです。1 親王は悲劇の皇子として有名で、母親は紀氏出身。文徳天皇の第一皇子だったが、第四皇子の母親が藤原家出身で、追い落とされてしまう。2 惟喬親王は一般には比叡山の麓で隠棲したと伝わりますが、相模國には流刑になったという説もあります。3 どこに埋葬されたかは不明ですが、京都大原に墓地が伝わっている。4 隠棲する前に大原や東近江を転々としていたという説があり、ろくろで木工品をつくる「木地師」の里といわれる東近江市には、惟喬親王が木地師の祖神で、ろくろの技術を広めたという伝説が残っている。
やっと階段を登り、お参りしました。階段下に宮司宅があり、留守でした。高台にあり、周りはあまりきれいにされてなかったです。御朱印も、貰えずガッカリ😖
創建は意外と古い。
神職在中、御朱印を頂ける神社。例大祭は4月23日前後の日曜日、神輿や山車は夕刻の宮入前に早川駅前大集結。宮神輿は木にまつわる神社らしく白木造り、二点棒、箪笥付き。
鳥居と拝殿の間に東海道本線が通っていますが心休まる好きな神社だす。
名前 |
紀伊神社(木の宮さん) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0465-24-0040 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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早川駅から鳥居までは徒歩10分ほど、そこから線路下を通る参道を2分ほど行くと 長い階段の上に本殿が見えてきます。木々に囲まれている場所なので、お猿さんが出てきたり 暗くなりやすいため なるべく早めの明るい時間に行かれることをオススメします。