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名前 |
富士見橋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
名前からするとかつては富士山が見えたであろう、鴫立沢に架かっていたであろう橋の跡。今では線路の防音壁に遮られ、富士は見えず、沢は暗渠になってしまったため、水面もなく流れの水音も聞こえず、欄干だけが痕跡をとどめています。かつて西行が「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮」として歌った地は、実は鵠沼から大磯までの海岸あるいは砥上が原(藤沢市大庭)とする説もあり、本当のところはわからないそう。ただし室町時代にはすでに大磯説が流布して定着していたとのこと。しかも当時「鴫立沢」と呼ばれていたのは、現在の「鴫立庵」よりやや上流の富士見橋(この橋)から鴫の井戸のあるところまでだったそうで、もしかするとこの橋(の近く)にたたずんで西行法師が歌を詠んだのかもしれません。なお西側、電柱の陰にひっそりと、大磯八景のひとつ「富士山慕雪」の石碑がひっそりと建っています。